ワールド・コーリング

小説を書いたり、読書をしたり、写真を撮ったり、ゲームをしたりします、

九月のこと

 椅子を買った。元々座椅子で地面に座る派だったのだが、そのスタイルをとうとう転換させる時期に至ったというわけだ。いわゆるゲーミングチェアだ。ただ、今これを書いている瞬間はまだ地面に座っている。机がないんですね。同時に発送されないとこういうちぐはぐな事態が起こってしまうのである。ちぐはぐと言えば、今回はゲーミングチェアを買ったにもかかわらず、別段ゲームをする予定も余裕もないので、ゲーミングチェアの潜在能力を殺しているわけである。さすがに悲しいので目下、ゲーミングPCでも組もうかと画策している。本末転倒というか馬鹿馬鹿しいというか。
 で、早速にも椅子を組み立てたのだが、その途中で部屋の蛍光灯が寿命を迎えてしまい、夕陽の沈みそうな薄暗い空を背景にひたすら六角レンチを回していた。そして、完成するや否や電機屋へと赴いて蛍光灯を購入して帰宅すると、完成したばかりの椅子に乗って蛍光灯の交換をしましたとさ。ゲーミングチェアもまさか最初の仕事に蛍光灯の交換ために足場として使われる、みたいなのは想定していなかったろう。ただ、ゲーミングチェアはぐるぐる回るのであまり上に乗るのは止めようね(ブログ主は特別な訓練を受けています)。

 行田市って知ってるかい。熊谷市の隣さ。埼玉県だよ。ちょっと車で足を伸ばして出かけたのだが、目的は古墳を見るためで写真も撮ったしフィールドワークもできた。その日はニュースも気象番組もこぞって「無理な外出は避けてください」と呼びかけるような残暑の厳しい気候で、ちょっと車を駐車場に止めてから戻ってくると、車内がオーブングリルの中みたいになってしまう。ハンドルを握ると低温火傷してしまいそうになる。持ち込んだ水はお湯となり、体を冷やさない効果はあったかもしれないけれど、その体へのいたわりが心まで温かくしてくれて苛ついてしまう。
 古墳群は確かに興味を引いた。まるでエジプトの王家の谷のように巨大墳墓がいくつも集合しており、ただ発掘が進んでいないところもあるのではっきりとは分かっていないが、王の身分に相当する人物が埋葬されていたという事実はなかったように思える。発掘調査の歴史や出土品を博物館で見学してから古墳に登ると、そこからは関東平野が一望できた。山の少ない地域なので特に見通しがよくて、しばらく貼り付けられたテスクチャのような田んぼを眺めていた。どこから水を引いているのかとか、収穫にはまだ早いのかとか、やたら直射日光を浴びながら近隣住民の農業事情に思いを馳せていたのである。
 しかし、それにしても平野というのは恐ろしいものだ。いや、正確には高い建物が存在しない平野地は、少し高い場所に登っただけで、田畑を布地とし、森と点在する民家や工場が模様になったカーペットのように見える。そこはどこにも寄りつくところのない手応えの無さが、視界に何も引っかかるものが無いという感覚の頼りなさを呼び起こして、不安になる。海原は波が動けば心も凪ぐが、夜の海は別だろう。それと同じことだ。山から吹き下ろす風は絶対に自分の所まで届かない。それどころか、隣接する県の遙か遠くの山がこちらを覗き込んでいるようで、横たわる距離と姿はこちらを威圧するように映る。

 スマホのカバーが裂けてしまった。適宜外して掃除を繰り返していたのだが、付け替えの際にダメージが蓄積してしまったのか、縁の所がチーズのようにぬるりと切れてしまったのである。同じようなものに買い換えたのだが、品自体は特に言うべきことはないけれど、梱包に使われていた箱に仰天した。多くの製品はプラ容器で二三カ所をパンチしたり、切り込み線を入れて切らせたりするのだが、買ったものは「本当にこんなものをもらってよろしいのでしょうか」と思わず連絡してしまいそうになってしまうほど立派なものだった。豪華ではない。機能的に立派なのだ。恐らくは売り場のフックに引っかけるための穴と、そこを取っ手にして片開きになるプラスチックのケースで、ちゃんと間違って開かないためのストッパーまで装備されている。容量はスマホのケースを入れるためのケースとして計算されて作られており、無駄がない。それにしても驚いてしまった。この梱包容器単体でも売れるのではないかと思ってしまう。もちろんもったいなくて捨てられるはずもなく、何かの役に立たないかと思案して色々入れたり出したりしていたが、これがまた寸法にまでこだわった良品の証というか何というか、もう本当にスマホのケースを入れる以外の選択肢が無いのである。それ専用にぴったりと収まる代わりに、他の物は一切入らない。誇り高き物づくりである。メイドインジャパンだった。流石である。結局、ケースには切れてばらばらになったスマホケースを入れて、将来、遺品として展示してもらうようにします。

今月は一つの賞への落選が知らされて、新たに三つの賞への応募を完了した。これで今年はもう投稿することも無いだろう。もしかすると、年末に一つあてがあるので、機会があればと考えてはいるが可能性は低く見積もっている。今年の執筆活動を振り返るのはまだ早い気もするけれども、あまり芳しいものではなかった。書けはするが出来が良くなかった。原因は既に把握しているのだが、これに対応できたとしてもまたどこかで別の課題が見つかって、今度はそちらに腐心して……と終わることはないのだろうなと思います。でも、ちょっとずつ、ちょっとずつ、極めていくのもまた楽しい。人生老い先が短くなっていけばいくほど楽しみ方が分かってくるのは良い兆候なのだろうが、残念ながら人間には寿命というものがある。タイムアップまでひたすら駆け抜けようと考えています。

 車で遠出して見知らぬ街のショッピングモールに立ち寄ったのだけれど、ショッピングモール自体はどこも同じような感じなのだが、周辺の道や風景には大きな個性がある。これは本当だ。誰か調べて記事にしても良いですよ。多くのショッピングモールはかつての広大な土地を潰した跡地にできているので、古くからの路地を潰すように新しい道路を作ってモールに誘導したり、そもそも野原を切り拓いて道を作ったりしている。狭い道は生活道路でちょっと進むと寂れた商店街に出たり、コンビニ一つを境に住宅街に案内されたりする。または工場の近くに建てられていると、資材運搬のトラックとしきりにすれ違ったりする。駅から離れていれば直通バスと道を譲り合う展開にも慣れてくる。そういうモールの個性みたいなものを調べてまた作品に生かせればとは思案しているが、これが与太話で終わるか珠玉のスパイスとなるかは、どちらに転ぶか分からないものであり、そういうのも一つの射幸心を煽るコンテンツなのである。私にとっては。こういうのが積み重なって何かの成果に繋がれば良いなと思っているけれども、果てしない遠回りだ。

 九月の終わりは急に肌寒くなり、用意していた秋物の服を意地でも着てやろうと思ったが、日差しもなく雨ばかりの日ではもはや冬の訪れなのではと思うほどで、諦めて冬服を出そうともしたが、ここは秋の装いが一枚上手だった。せめてあと二週間くらいはタンスの中身を入れ替えずに済ませてほしいものである。