十二月のこと
皆さま、明けましておめでとうございます。昨年来は大変お世話になりました。
今年は当ブログも少し趣向を変えて記事を書いていけるように頑張って参りたいと思います。
さて、十二月、暮れに久々に仕事が忙しくなりだして、残業なんかもするようになって、改めて自由な時間が削られていく時のあの不快感を味わっていた。思うに、働くことに対して心の芯まで覚悟が決まっている人は、働けない時が苦なのであって、余暇はあくまで余った時間となるのだろう。対して、そうでなくて働くことを人生のほんの一部としか見なしていない人間にとっては、労働時間がその他の時間を侵食するのに耐えられない。これは比較の問題ではない。特定の時期に比べて自由な時間が取れていると思い込むのは慰めでしかなくて、実際はどんな形であっても削られれば痛みがやって来る。自由の軽減は絶対的なものなのだ。
ずぼらさが仇になり、いつまでもウインドブレーカーで過ごせると思っていたけれど、十二月になればさすがに寒波に体が耐え切れず、それならば厚着だとヒートテックを二枚着てシャツとセーターを着こんでいたら、体が重くて気分が滅入ってしまった。それでも寒いよりかはマシかと思ったのだが、洗濯物の量が多くなってしまうので、普通に冬用のコートを急いでクリーニングに出した。クリーニングにはお日にちをいただきますとのことだったので、どうぞ好きなだけと答えたら、一週間以上かかると言われて、その間、上半身だけアメフト選手みたいな状態で毎朝バスに乗っていました。クリーニングは早めに出そう。
十二月はとかくゲーム配信を見てしまう日々が多かった。ジャンルは格ゲー。ストリートファイターVだ。今はプロゲーマーたちがTwitchでランクマッチやトレーニングの様子を配信しており、自らの思考や流儀を外に発信してくれている。最初はウメハラ選手の配信から入ったのだが、そこでナリ君という同じくプロゲーマーの人が現れて、ウメハラ選手と対戦し始めたのだがことごとく負けて、そこでナリ君がアドバイスを求めたところ、かなり対戦ゲームの本質にかかわる重要な助言をしていた。私は当ゲームをCPU戦しか遊ばない人なのだが、なるほどと頷きながら聞いていた。
対戦の本質は駆け引き。このゲームではキャラクターごとに相性があり、また攻め方や勝ちへの青写真も異なっている。だからこそ、相手の選択肢を読んで自分の選択肢を柔軟に変えていく必要がある。特定の戦略を潰すことばかりを考えると、そうでない手を取られたときにどうしていいのか分からなくなってしまう。自分の行動で布石を置いて、相手の行動を制限するなどすれば、ある程度相手をコントロールできるが、その思惑を考えずに自分の都合ばかりで攻めると全て外れてしまう。ウメハラ選手の話を聞いていて、「ははあ」と感心することばかりであった。
例えば、有名な技で言うとリュウの波動拳。これは単純な飛び道具なのだが、この撃ち方にも上手いと下手があるというのだ。実際、ウメハラ選手の試合を見ていると、波動拳を序盤はひたすら撃って相手との間合いを管理していたのだが、試合が進むにつれて波動拳を撃っていないのに相手が踏み込みにくくなって、間合いがしっかりとれていた。
波動拳を一発撃つのもリスクがある。撃ち終わりの隙を狙われたり、弾抜けという球をすり抜けて発生する攻撃を使われたりする。そのリスクを最低限減らしながら、布石を打って相手を近づけさせない。これは技術だ。波動拳を撃ちながら戦って保持した間合いを、いつの間にか波動拳の回数が減っても維持できるようになり、最終的には波動拳なしで相手の足を止めてしまっていた。舌を巻くしかなかった。
私の印象として格闘ゲームの弾は適当にばらまいて牽制に使うものだと思っていた。しかし、プロともなると「撃たずに」牽制をしてしまうのである。
そこから楽しくなって色々なプロゲーマーの人のアーカイブスや著書を貪りだした。私は普段、RPGとかオープンワールド系のゲームしかやらず、FPSをやっても一人用しかしないというソロゲーマーだ。勝った負けたの空気が息苦しくてそうしているのだが、彼らの生きているeスポーツの世界では「負け」の厳選が一歩も二歩も進んでいる。いかに美味しい負けを食べて栄養にするか。同じくプロ選手のネモ選手が話していたのだが「例えば、三試合全部パーフェクトで勝って、それって本当に練習になってるの?」という疑問があった。今まで私は勝つことによってしか学べないことがあると、そればかり考えていたような気がする。つまり、勝つ=成功であり、成功=学びだった。自分のこの方向性は正しいのだと再認識する行為だ。ただ、いつでもそれが出来るわけではない。それに勝ちからでしか学べないとすると、負けを甘受できなくなり、それはきっと健全な学習ではないのだろう。
勝っても負けても学べるようになる。それは前述したウメハラ選手の言葉にもあった。少々方向性は異なるが、「読み合いによる対戦をした上で負けたんならしょうがない。そういう時には非常にいい考え方がある。『相手の方が強い』って思えばいい。そうすれば、自分も強くなって勝つしかなくなるんだから」と述べていた。シンプルだが真理だ。負けの積み重ね。その精度がどれだけ高まっていくかで強さの強度は違ってくるのだろう。
プロゲーマーたちに感化された私も年の瀬はスマブラのオンライン対戦に潜って戦ってました。負け負け負け。そう言えばこんなことを言うプロゲーマーもいました。「練習しないでひたすら負けてるのは、RPGで言うと装備を揃えずに強いモンスターと戦って負けまくってるのと同じ。まずは、練習して装備を揃えよう」と。ごもっともだった。
小説は電撃文庫に向けた初稿があと一歩……いや、半歩で終わりそうだった。しかし、完成は年明けになってしまうなあ。年越しの瞬間も原稿いじってました。2021年はもっとたくさん書きたいですね。そして、読みたいですね。
それでは、今後も当ブログをよろしくお願いします! もしかしたらブログタイトル変わるかもしれません! よしなに!
十一月のこと
眼鏡が折れた。もう少し詳しく言えば、眼鏡のつるが折損してしまった。特に負荷をかけたつもりも特殊な状況下で眼鏡を外したわけでもないのにいきなりはじけ飛ぶものだから、てっきり耳の骨が折れて耳が落ちたのかと思った。で、翌日もその眼鏡を使わなければいけないから瞬間接着剤でくっつけてそのまま使用していたのだが、全く外れる気配がなくて瞬間接着剤の強さを分からされる一件となった。「あれ? このままでもいいんじゃね?」と思ったのだが、まあいい機会だし眼鏡を作り直そうかなとZoffまで出かけた。どうでも良いが、Zoffのことを私は今まで「ゾフト」と呼んでいた。ロフトの間違いでは? そのことに気づいたのは、Zoffの店内で眼鏡を外して視力検査を行う際だった。薄ぼんやりとした視界の中でZoffの最後の文字がtではなくてfであるのに気がついて、間違いが発覚したのである。やっぱり眼鏡いらねえんじゃないの?
コロナによって仕事が減り、残業がなくなったので、持て余してしまう時間をゲームに吸わせようとした。プレイしたのは「テイルズオブベルセリア」。テイルズシリーズはアビス以降全くプレイしていなかったが、ふと誰かに薦められていたのを思い出してベルセリアに触れてみることにした。一か月と少しでエンディングまで見られたのだが、結構私としては胸の痛くなる終わり方で、一日二日くらいは喪失感で胸が詰まったような、あるいは何か大切な感情の支えを失ってしまったような気分を味わっていた。話の筋は分かりやすく、主人公が敵へと復讐するというものだが、敵にもそれなりに納得のいく理由があってというのはお約束で、さらに主人公側が誰かの怨敵になってしまうという動機の矛盾にまで踏み込んだシナリオは見事だった。
復讐の完遂かそれとも和解か。落としどころは悩ましく、プレイしている間も頭の中ではどちらに落ち着くのだろうかと常にシミュレーションしていた。結末は、もしこのブログを読んでおられる方で今後ベルセリアをプレイするというレアな条件の方がおられるのを想定して、明確にしないでおく。ゲームを進めるうちに事情が随分と変わり、それでも当初のモチベーションを保ち続けるのは綺麗にできていたが、ラストはバッドエンドに見せかけたハッピーエンドになったと思う。初期状況からしばらく進めれば、ある程度どの筋を取ってもハッピーエンドの可能性は残っていたのだが、途中で現れる因子がその選択を阻害し、結局は予想とは別の所へと話が向かっていった。けれど、今考えてみれば、予想されうる終わりのどちらに至ろうとも、主人公にとっては自分を取り戻して話を終わらせられないのだなあと感じている。計算して作られた良いシナリオだった。
応募している小説の二次選考があった。残念ながら落選していた。二次でのどきどきも割と慣れつつあり、それでも胸の中では「もしかしたら……」という下心はどこかに持っているもので、それが裏切られた時はやはり肩を落としてしまう。勉強と研究。努力と研鑽。そして、チャレンジとチェンジ。今年も来年もやることは変わらない。また次は一次選考を突破するところから考えよう。
十一月は久々に、と言うか、ほぼ今年初めての飲み会をした。いつも絡んでいるメンツと会って近況を話し合ったが、本当に彼らといると話題が尽きないのを感じる。三か月も合わなければもう新しいことを誰もが始めていて、それは具体的なアクションとして形になっていなくても、思考という部分で進展があって話を聞いているだけで面白い。酒もおいしい。東京は避けて飲み会をしようという話だったので、ちょっと普段から離れた場所で飲んでいたので、見事に終電を逃した。帰りは国道沿いを歩いていた。色々なことを考えていた。あるアーティストの新譜はどうしてあんな歌詞なのだろう。コロナの終息はいつになるのか、またどうしたら終息と言えるのだろうか。私はいつまでこんな生活を続けるのだろう。もしくは続けていられるのだろう。浮かんでは消え、消えては浮かぶ。歩けば歩くほどに私の場合は脳みそも回って、アイデアも出るし、くだらない考え事も進む。帰宅するころにはすっかり酔いも覚めて体も冷えてしまっていた。これからさらに寒くなる冬を予感しながら、宇宙の片隅のようなベッドに縮こまって潜り込んだ。
十一月の下旬には文学フリマにもお邪魔した。一冊だけ本を買わせていただき、まだ手をつけていないのだが、概要を読んだだけで面白さを予感したので、恐らく感想はアウトプットすると思う。公開するかどうかは別として。こちらでもまた一人、友人と会って色々と話していた。彼とは一晩でも小説について語れるし、何度も顔を合わせては最近読んだ本や今書いている作品について話していたのだが、やはりコロナの影響もあって今年は難しかった。来年は少しでも状況がよくなっていればと思う。
さらに同じ日に秋葉原にも出かけた。アキバと言えばショッピングの場所というイメージで語られることが多いと思うが、私にとっては食の場所で、遊んだついでに何か食べに行くという流れの時もあれば、最初から食べる目的でアキバを目指す時もある。今まで生きてきて色々な店に足を踏み入れた。中国人の夫婦がやっている冷凍餃子を出すラーメン屋とか、やたらと呼び込みがしつこい回転寿司の店とか、様々なところに入ったけれど、その日はマジで麺の細いパスタ屋が選ばれた。パスタなのかラーメンなのかというレベルの太さで、イタリア人からも中国人からも叩かれそうな食感をしていたが、私はこれはこれでありなんじゃないかと思いながら食べていた。ただ、この麺の細さがスタンダードになったら何となく誤解を生みそうなビジュアルになりそうだなと考えていて、フォーク使うよりも箸使った方がもしかしたら食べやすいかもという懸念がある。箸でパスタだ。もはや何料理なのかも分からない。でも、もしかしたらとんこつ味のスープパスタとしてメニューに出したら、意外に人気を博すかもしれない。麺類の再定義だ。もはやラーメンだ。でも、私からしたらスープパスタなんてものもどうかと思うのだけれど、一般的にはラーメンのような長細い麺よりもショートパスタと呼ばれるペンネが使われる傾向にあるようで、麺類まで用意されたのならもうしょうがない。それはパスタのサブジャンルとして認めざるを得ないだろう。どうでも良いが、イタリア人は長いパスタを折ってゆでるとキレる(とまではいかないが、文明の外から来た人間として扱う)のだそうだが、その理由は「短くしなければならないのなら、既にそのサイズが売っている」ということらしい。何だか良く分からない。もしかしたら、パスタ文化の中には麺類のレギュレーションに関して何か根深いこだわりを持っているのかもしれない。業界の圧力なのかもしれない。ラーメンの存在に脅威を覚えているようなイタリア人がもしかしたらいるのかもしれない。そんな十一月でした。
十月のこと
誰が言ったが知らないが、読書の秋ということで本を読んだのだけれど、本なら年がら年中読んでいるので、秋の読書になってしまっているが、まあ、いい、とにかく本を読んだ。
かねてから短歌というものに興味があって、作りたいな作れるかなとまるでプラモデルかジグソーパズルでも組み立てるような勢いで過ごしていたのだが、とうとう短歌の入門書に目を通してしまった。短歌とは五・七・五・七・七の三十一文字で著される定型詩であり、俳句には季語を入れるのが原則になっているが、短歌にはそうした縛りがなく、まあかなり乱暴に言えば三十一文字のツイッターだ。いや、イメージとしては五文字制限のセルと七文字制限のセルを連続して入力して表現する詩だろうか。
入門書を読んでちょっと驚いたことをいくつか。
言葉を工作しても良い。何のこっちゃ。まあ、実例を挙げるのが面倒なのでふらっと説明すると、「砂漠を渡る」ことをちょちょっとそれっぽくして、「砂漠渡(さばくわたり)」とか「音楽を聴いて涙する」ことを「音聴き涙(おとききなみだ)」とか、かなり無理筋でも言葉をおしゃれに仕立てるのが評価される……らしい。説明がないと「何のこっちゃ」と思われるかもしれないけれど、それが詩なのだ。造語が好きな人は短歌ハマるかもしれないですね。僕も造語は好むので短歌向きなのかもですけど、わざわざ言葉を作らなきゃ表現できないことかなあと思って言い換えに走るのが常なので、好きだけど使いこなせてない。あとは苦肉の策で造語をぶちかますのと、メインウェポンで造語を使うのは割と差があって、前者は逃げ腰なんだけれどおそらく短歌的には妙手と拍手喝采になるが、後者はロマンあふれるアクロバティックな姿勢なのだが短歌的にはそういう競技じゃないからとたしなめられそうな感じがする。
季節の変わり目を上手く捉える。つまり、春から徐々に梅雨になりつつある様子とか、夏からやや涼が感じられるようになってくる秋の夕暮れとか。四季のグラデーションを感じろってことですね。別に驚くほどのことじゃないけど、普段俳句に触れることが多いと、季語ってあるじゃないですか。まんま、四季を詠むことが多くて、その曖昧なところは狙うと季語を二つ使う禁忌に引っかかりそうなので(俳句には季語がいっぱいあり、知らず知らずに発動している時がある)、あまり意識はしてなかったが、むしろ短歌ではそれが評価されるのだと。でも、四季の変化はむしろ今感じにくくて、春の後にゲリラ豪雨がやって来て急に猛暑になり、台風の後でいきなり夏からウインドブレーカーの必要な気温になったりする。だったらむしろ季節なんて排した生活と美に注力した一首を求めた方がとも思うけれど、詩と四季は伝統的に抱き合わせなのでまるで無視はできないというか、どこまで行っても短詩には付きまとうジレンマなのかも知れない。むしろ、そういう四季グラデーション短歌をいっぱい作って四季折々の妙を文学の中で保存しようという動きがあるのか。ないのか。分からんが。
ゲーミングチェアを先月買い、そして今月は夢にまで見たゲーミングPCを買ってしまったのでした。超高速チップと潤沢なメモリ、憧れのGPU! ああ、素晴らしきGPU! もうね、知り合いとグラボ談義がこれで弾むんだよね。グラボについて語りたいがために積んだようなもんだよね。ちなみにゲーミングPC買ってからしばらく経ちますが、まだ小説しか書いておりません。すげえですよ。Wordがノータイムで立ち上がります。
それじゃあんまりだってことで、鉄道模型シミュレータというものを触ってみたのですが、これがまた完成度を求めた故の不便さを備えており、どうやらリアルの鉄道模型をPCで再現するという点に拘っているらしく、線路のパーツがフリーハンドで伸ばしたり縮めたりできないのですよ。ほら、現実の鉄道模型も線路パーツを上手くやりくりして道を作るでしょう? 再現度が高すぎて上手く環状線が作れなかったんですよね。プラレールをパソコンで組み立ててるみたいでした。半日使いました。で、完成させたコースを実際に走らせてみた。殺風景な野原を列車が走っていく。ひとしきり感動して夢中で走らせていると、パソコンから気高い金属音が聞こえてきた。レーザーを照射しているような、カセットテープを巻き戻しているような音で。それがGPUの稼働音だと気づいた。この音を聞くために、これから先僕は何度でも3Dグラフィクスを表示させるだろう。手始めにアサシンズクリードでもやるか。
このブログ以外にも手書きで日記をつけている。もう五年以上毎日欠かさず書きしたためているが、内容はこの場に輪をかけてどうでもいいことで、どこへ行って何をしたとか誰と会って何を話したとか、純粋な記録になっている。初めのうちは普通のキャンパスノートを使っていたのだけれど、労働によって得られた賃金の使い道として日記帳というものが候補に挙げられて、それからはちょっと贅沢をして「ほぼ日手帳」、使ってます。一日一ページのやつで、繰り返すけれど本当に何も書いていないに等しいほど内容がない。
ただ、日記を書く環境を作るというのが給料のはけ口となり、ローソンで90円で買ったボールペンはやがて500円のドクターグリップになり、そしてとうとう去年からは1000円程度の安い万年筆となっていた。
自分の飽き性はよく理解できているので、万年筆なんてきっとすぐに飽きてしまうだろうと高をくくっており、インクカートリッジを買って、5本だか6本だか入っているインクを全部使いきれたらちゃんとしたコンバーター式の万年筆を買おうと思っていた。コンバーターというのはインク瓶からインクを吸入する部品であり、これがあればカートリッジは不要となるが、インク自体が決して安くないので一つ思いとどまっていたのである。
ところがこれがなかなか習慣となって続いてしまい、とうとう10月の最後にカートリッジの最後の一本にたどり着いたのである。これは高級万年筆デビューも秒読みかと思いながら日記を書いていたが、まさかの寝落ちをしてしまい、万年筆のペン先が洋服に押し付けられる格好で寝入ってしまっていた。結果、インクが全部吸われました。シャツの脇腹には真っ黒なシミが残り、まるで戦闘で深手を負った人のようになった。
こうして一本丸ごとインクカートリッジを洋服に注入してしまい、カートリッジの残数はゼロとなった。これで高級万年筆に移行していいものか。ちょっと悩んでしまっている。後味の悪すぎる目標達成である。万年筆を使う限り、このような事故は防ぎきれない(寝落ちしなければいいが、私は眠るのが好きなのだからしょうがない。起きているとき以外は寝ていると言っても良い)。万年筆のインクは洋服に付着すると家庭では取るのが難しく、インターネットで方法を探して色々試してみたが、やはりインク一本分の破壊力はすさまじく、脇にシミを残したままとなってしまった。再発防止のために脱万年筆をしようかどうか考えて、色々と水性ペンで日記を試しにつけてみたけれど、どうも勝手が違うんだ。悩みどころである。
小説の一次選考に通っていた。いやこれは選んでもらって悪いのですが、完全に落とされたと覚悟していたもので、前回は自信満々で送った作品を虫でも振り払うがごとくあっけなく蹴られて、それと比較すると今作はあまり要素がかみ合っていないし、展開にも無理があったので、もちろん落選と信じていたのだが、思いがけず自分の名前を通過者一覧の所で見つけて3度見した。最初に抱いた感想が、何度も自分の中で繰り返し残っている。だから、ここにも書いておきたいと思います。今年書いたやつが一作でも選考を通過してよかった……。だって、そうじゃなかったらこの一年何だったんだって悲しくなる。着実に力をつけている実感はあるけれど、出来なかったことが出来るようになったり、出来るようになっていたことが体に定着して自信に変化していたり、いくらでも自分の成長を信じるのは容易いけれど、やっぱり外からの結果として返ってこなかったら、それは、すごく、怖い。思いません? でも、一次通過するために小説を書いているわけではないので、さらに先へ、そして次も納得のいく作品ができるように日々書いていくだけです。
最初の詩作の話に戻るが、入門書を読んで何首かノートにしたためてみたのだけれど、何で自分はこんなものを書こうと思ったんだろうって自己嫌悪してしまうものばかりができた。詩は小説ではないし論文ではない。理性とかそういったものが入り込む余地はない。だから、日常の中でふと「ああ、これは短歌にしよう」みたいなものを見つけてアイデアとしてストックしていざ取りかかると凡庸極まりないものになってしまいガッカリする。ふと、自分がどうやってこれまで短詩を作ってきたかを思い出した。
まず、言葉ありきだった。これを使いたいなという単語をどこかから見つけてきて、そいつを軸にして流れを作る。やがて塊になったころで、また主軸となる言葉をいじる。世界に存在するイメージというものと、その時々で生起する言葉には深い関係があって、その繋がりを上手く取り持てたならきっと良い詩が作れるのだ。だから、ふとした「出来事」というのは日常の中にあるイベントであり、それは説明文やイメージ作成(お絵描きとかね)で、抜群に題材として強さを発揮するが、私の場合は「出来事」は言葉を鋭くするためのきっかけでしかない。だから、無理に場面やら情緒にこだわると詩は自分にとっての特別なものになってこない。びったりとあてはまる言葉がどうしても必要なのだ。詩で必要とされる感性は詩人の感受性の意で使われることが多いけれど、私の場合は心を動かすだけでは駄目で、その先の心を動かす言葉までがセットになっていないと自分の世界にたどり着けない。だから、短歌はまだ完成しません。この場で発表できるようなものができるといいな。今年中にでもね。
九月のこと
椅子を買った。元々座椅子で地面に座る派だったのだが、そのスタイルをとうとう転換させる時期に至ったというわけだ。いわゆるゲーミングチェアだ。ただ、今これを書いている瞬間はまだ地面に座っている。机がないんですね。同時に発送されないとこういうちぐはぐな事態が起こってしまうのである。ちぐはぐと言えば、今回はゲーミングチェアを買ったにもかかわらず、別段ゲームをする予定も余裕もないので、ゲーミングチェアの潜在能力を殺しているわけである。さすがに悲しいので目下、ゲーミングPCでも組もうかと画策している。本末転倒というか馬鹿馬鹿しいというか。
で、早速にも椅子を組み立てたのだが、その途中で部屋の蛍光灯が寿命を迎えてしまい、夕陽の沈みそうな薄暗い空を背景にひたすら六角レンチを回していた。そして、完成するや否や電機屋へと赴いて蛍光灯を購入して帰宅すると、完成したばかりの椅子に乗って蛍光灯の交換をしましたとさ。ゲーミングチェアもまさか最初の仕事に蛍光灯の交換ために足場として使われる、みたいなのは想定していなかったろう。ただ、ゲーミングチェアはぐるぐる回るのであまり上に乗るのは止めようね(ブログ主は特別な訓練を受けています)。
行田市って知ってるかい。熊谷市の隣さ。埼玉県だよ。ちょっと車で足を伸ばして出かけたのだが、目的は古墳を見るためで写真も撮ったしフィールドワークもできた。その日はニュースも気象番組もこぞって「無理な外出は避けてください」と呼びかけるような残暑の厳しい気候で、ちょっと車を駐車場に止めてから戻ってくると、車内がオーブングリルの中みたいになってしまう。ハンドルを握ると低温火傷してしまいそうになる。持ち込んだ水はお湯となり、体を冷やさない効果はあったかもしれないけれど、その体へのいたわりが心まで温かくしてくれて苛ついてしまう。
古墳群は確かに興味を引いた。まるでエジプトの王家の谷のように巨大墳墓がいくつも集合しており、ただ発掘が進んでいないところもあるのではっきりとは分かっていないが、王の身分に相当する人物が埋葬されていたという事実はなかったように思える。発掘調査の歴史や出土品を博物館で見学してから古墳に登ると、そこからは関東平野が一望できた。山の少ない地域なので特に見通しがよくて、しばらく貼り付けられたテスクチャのような田んぼを眺めていた。どこから水を引いているのかとか、収穫にはまだ早いのかとか、やたら直射日光を浴びながら近隣住民の農業事情に思いを馳せていたのである。
しかし、それにしても平野というのは恐ろしいものだ。いや、正確には高い建物が存在しない平野地は、少し高い場所に登っただけで、田畑を布地とし、森と点在する民家や工場が模様になったカーペットのように見える。そこはどこにも寄りつくところのない手応えの無さが、視界に何も引っかかるものが無いという感覚の頼りなさを呼び起こして、不安になる。海原は波が動けば心も凪ぐが、夜の海は別だろう。それと同じことだ。山から吹き下ろす風は絶対に自分の所まで届かない。それどころか、隣接する県の遙か遠くの山がこちらを覗き込んでいるようで、横たわる距離と姿はこちらを威圧するように映る。
スマホのカバーが裂けてしまった。適宜外して掃除を繰り返していたのだが、付け替えの際にダメージが蓄積してしまったのか、縁の所がチーズのようにぬるりと切れてしまったのである。同じようなものに買い換えたのだが、品自体は特に言うべきことはないけれど、梱包に使われていた箱に仰天した。多くの製品はプラ容器で二三カ所をパンチしたり、切り込み線を入れて切らせたりするのだが、買ったものは「本当にこんなものをもらってよろしいのでしょうか」と思わず連絡してしまいそうになってしまうほど立派なものだった。豪華ではない。機能的に立派なのだ。恐らくは売り場のフックに引っかけるための穴と、そこを取っ手にして片開きになるプラスチックのケースで、ちゃんと間違って開かないためのストッパーまで装備されている。容量はスマホのケースを入れるためのケースとして計算されて作られており、無駄がない。それにしても驚いてしまった。この梱包容器単体でも売れるのではないかと思ってしまう。もちろんもったいなくて捨てられるはずもなく、何かの役に立たないかと思案して色々入れたり出したりしていたが、これがまた寸法にまでこだわった良品の証というか何というか、もう本当にスマホのケースを入れる以外の選択肢が無いのである。それ専用にぴったりと収まる代わりに、他の物は一切入らない。誇り高き物づくりである。メイドインジャパンだった。流石である。結局、ケースには切れてばらばらになったスマホケースを入れて、将来、遺品として展示してもらうようにします。
今月は一つの賞への落選が知らされて、新たに三つの賞への応募を完了した。これで今年はもう投稿することも無いだろう。もしかすると、年末に一つあてがあるので、機会があればと考えてはいるが可能性は低く見積もっている。今年の執筆活動を振り返るのはまだ早い気もするけれども、あまり芳しいものではなかった。書けはするが出来が良くなかった。原因は既に把握しているのだが、これに対応できたとしてもまたどこかで別の課題が見つかって、今度はそちらに腐心して……と終わることはないのだろうなと思います。でも、ちょっとずつ、ちょっとずつ、極めていくのもまた楽しい。人生老い先が短くなっていけばいくほど楽しみ方が分かってくるのは良い兆候なのだろうが、残念ながら人間には寿命というものがある。タイムアップまでひたすら駆け抜けようと考えています。
車で遠出して見知らぬ街のショッピングモールに立ち寄ったのだけれど、ショッピングモール自体はどこも同じような感じなのだが、周辺の道や風景には大きな個性がある。これは本当だ。誰か調べて記事にしても良いですよ。多くのショッピングモールはかつての広大な土地を潰した跡地にできているので、古くからの路地を潰すように新しい道路を作ってモールに誘導したり、そもそも野原を切り拓いて道を作ったりしている。狭い道は生活道路でちょっと進むと寂れた商店街に出たり、コンビニ一つを境に住宅街に案内されたりする。または工場の近くに建てられていると、資材運搬のトラックとしきりにすれ違ったりする。駅から離れていれば直通バスと道を譲り合う展開にも慣れてくる。そういうモールの個性みたいなものを調べてまた作品に生かせればとは思案しているが、これが与太話で終わるか珠玉のスパイスとなるかは、どちらに転ぶか分からないものであり、そういうのも一つの射幸心を煽るコンテンツなのである。私にとっては。こういうのが積み重なって何かの成果に繋がれば良いなと思っているけれども、果てしない遠回りだ。
九月の終わりは急に肌寒くなり、用意していた秋物の服を意地でも着てやろうと思ったが、日差しもなく雨ばかりの日ではもはや冬の訪れなのではと思うほどで、諦めて冬服を出そうともしたが、ここは秋の装いが一枚上手だった。せめてあと二週間くらいはタンスの中身を入れ替えずに済ませてほしいものである。
八月のこと
現実感がなかったけれど、十日くらいの休みが八月の初旬に訪れた。この休みは本来予定されていなかったもので、だから旅行の予定も遠出の予定も何も入れていなかったから、在宅で過ごすことが多くなった。急な休みに急の旅行計画をぶち込むのは割と厳しくて、宿の予約は三ヶ月くらい前にしておかないとどこもいっぱいになってしまう。そのことを学んだのは四年くらい前の年末だった。
当時は働きづめで、年末の忙しさに完全に心が息を止めてしまっており、ようやく健全な精神が戻ってきたのは年内最後の出勤が終わり、帰りの電車の乗り換えのホーム上だった。二回目の乗り換えだ。いきなり足枷が外された私の心は、そのまま閉じ込められていた牢の枠までぶっ壊してしまう勢いで加速した。ここではないどこかに旅立ちたくなった。何故か金沢に行きたくなってスマホを操作して宿を探すが、どこも私の目的地となる場所は空いていなかった。え、みんな、結構旅行好きなんですね。と、世の中の需要に気づいたのもその時でしたね。その日は寒空の下を歩きながら、冷たい冷たいサイダーを飲み、宮沢賢治の「ほしめぐりの歌」を口ずさんだ。結局、その年の年末は一人でプラネタリウムに行きました。暇だったので二回も見ました。
話を今年に戻すと、その十日の休みの内に色々なことを終わらせた。まず、飲みかけのウイスキーを飲みきって、買ったばかりのゲームもクリアして、十月の文学賞に出す小説も完成させた。人間、一気呵成に見境なく色々と終わらせると虚無感が沸く。達成感もあるにはあったが、酒とゲームと小説、この三つのうち、一番やり遂げた感じがあったのは酒だ。ようやく無くなったかという感じだった。一冊の本を読むようにじっくりと一本のウイスキー瓶をちびちび飲んでいくのだから、飲酒量も少なくて済む。しかも、週末しか飲まないペーパードランカーなのでボトルの減りも遅い。それだから部屋の片隅にはいつもウイスキーの瓶があって、お酒と共に生活している感じがあるが、触れあうのは土曜日くらいなので別居状態だと言ってもいい。酒と添い遂げる覚悟はまだない。
反対に終わらせてみて「やっちまったなあ」という後悔に包まれたのは小説だ。本当にこんな作品書いてて、大丈夫なの? 時間をドブに捨ててるんじゃない? 本気で小説に対しての姿勢を考え込んだ。久しぶりに熟考した。ぐるぐる考え続けた。すばる文学賞の一次選考を通らなかったのも燃料になった。自分に大声で叱責を加え続けた。何でそんなもの書くの? 面白いと思ってやってるの? とてもここには書けない汚い言葉だらけを叫び続けた。車を運転してイオンモールから帰る途中だった。やり場のない怒りは、人目の付かないところに捨ててしまおう。
冗談のような豪雨に出くわした八月。本当に自然は容赦ない。朝から晴天が続き、それでも天気予報では夕立があると言っていたので、私は基本的に人の話は聞かないのだが、その日は何となく他人の言葉に身を委ねたい気分だったので折りたたみ傘を装備して出かけた。アマゾンで頼んだショットグラスがこちらの操作ミスで運送会社の営業所止めになっており、仕方が無いので歩いて取りに行こうとしたのだ。
汗だくになりながら営業所まで辿り着き、その時にはしずくが空から垂れてくる程度だったのだが、荷物を受け取って外に出たときは勢いが増していた。それでも歩いて帰れるなと思って出発したのだが、ほんの十分もたたないうちに確信的に人を殴りつけようという勢いの雨粒に変化し、地面には空気が波打つように雨の勢いで発生した風が通っていた。何度もその波は私を切り裂き続けた。そういう時に限って何でアマゾンの段ボールは大きいのか。抱えないと持てないくらいだった。注文したのは、手の平サイズのショットグラスのみなのに。頭からつま先まで水に濡れ、段ボールもあちこちが剥がれた状態になった。道路は一瞬で冠水し、野ざらしで車を販売する店の主人は恐らくクーラーの効いた店内から、外を静かに眺めていた。車はでたらめに水を浴びていた。錆びないのかな。そんな状態で帰宅し、段ボールを空けるとショットグラスではなくて普通のガラスのコップが入っていた。そりゃこのサイズの段ボールだわ。納得だわ。何なんだこの人生。
そもそも、先述した通り、ウイスキーは飲み終えてしまっており、すっかりショットグラスを買い求める気力も失せてしまった。なので、本当に久しぶりにストロングゼロをコンビニで買ってきてポテトチップスと共に飲んでいたのだが、クーラーのない自室で一杯やっていると本当に脱水で死ぬのではと思ってしまうほどに汗をかいていた。しかし、ストロング系チューハイは薬品に近い。普段飲んでいる酒はじわじわと酔いが回ってくるのだが、こいつは一口目から頭がふらついてくる。吸収力がおそろしい。急性アルコール中毒になるぞ。最も効率よく人を酔わせる酒を私はこれ以外に知らない。
酔いながら何をしていたのかと言うと、何故かガムを噛んでいて、以前どこかで買ったものだがガムって食べたい時の欲求が一枚で満たされる上に、あんまり「あ、ガムを食べたい」と感じる瞬間もそうそうやって来ないので、つい部屋に放置してしまうのである。だから、深夜にストロングゼロでべろべろになりながら、何故か繰り返しガムを噛んで、味が無くなったら捨ててを繰り返して、さらに唾液を出しすぎて喉が渇いて仕方が無くなってしまったので、ミネラルウォーターも飲み始めた。「ストゼロ→ガム→水→……」のループである。
代謝と供給のバトルを繰り広げている間に、ガムで指を切ってしまった。いや、包み紙で切ったのだがこれが結構深くて、しばらく血が止まらなくなった。そこまで代謝を徹底する必要があるか? それはどうでもいいが、翌日、指を切ったのを忘れて外出して、TSUTAYAやらGUに行く度に手指のアルコール消毒を求められ、油断して傷口にアルコールを刷り込んでびっくりするほど痛かった。思わずジッと手を見つめてしまった。たが、絆創膏を貼るのも面倒だったし、かえって傷口消毒できるからいいか! と放置していたら、どうも滅茶苦茶痛い消毒液とそうでないものがあるらしく、店毎にアルコール濃度が違うのか成分が違うのか良く分からないけれど、そのことを知り合いに話したら、飲まなくなったウイスキーをくれました。
そんな八月の日でした。概ね気合いの入った暑さでした。まるで街中が室外機になったようだったね。宇宙は涼しかろうね。
七月のこと
今月は仕事を休むことが多くて、と言うのも、このご時世で業績が芳しくなく、我が社も経営が厳しくなってきており、お得意さまだと思っていたところがいざとなればコストカットを名目に取引を中止したり、そもそも資材がなくてラインを動かせないといった問題に直面している会社もあって、まあ暇になっているからだ。
役員たちは懸命に走り回って、資金繰りやら新規顧客の獲得やらに奔走しているようである。意地でも工場を止めたくないのだろう。だから、という訳ではないが、彼らの分まで私が有給を消化してぐだぐださせていただいている。
そう言えば、祖父が学生闘争を口実に大学の講義をサボり、河川敷で誰に聞かせるでもないバイオリンを弾いていたという話を聞いた。祖父が亡くなってもう何年になるだろう。
私の祖父は内気で破天荒な人だった。バイオリンが趣味で詩作を好み、句を少々嗜んでいたようである。しかし、何より好きだったのはアルコールだったようだ。「毎晩のように家に警察が来ていた」。そう祖母に聞かされた時はギョっとしたが、何のことはない、泥酔して道ばたに倒れて、そのたびに警官に運ばれて自宅に戻っていたのである。警察の間ではちょっとした有名人だったのではないだろうか。もちろん、良い意味ではなく。どこでどういう人とどういう酒を飲んでいたのかまでは分からないが、そう書いていると何だか野良猫のような人だと思うが、野良猫は腹が減ればいつもの場所に戻ってくるが、祖父は必ずしもそうではない。こうして祖父のことを文字におこしていると、どこの誰かとも知らない人と飲み歩いた本人だけの歴史が、何かの間違いで私に降ってこないかと願ってしまう。盆が近い。野良猫のようにふらりと帰ってきてくれないだろうか。
私の記憶にある祖父は、言い方は悪いが、怪物のような容姿をしていた。髪の毛を中途半端に伸ばし、垂れ目で鋭い眼光をしている。指が異様に長く、その針金のような人差し指によくタバコを引っかけては喫煙を楽しんでいた。そして、愛想笑いというのを一切しない人だったが、笑う際は全身で笑った。
アルコール漬けの人生がたたって、晩年は手が震えてしまい、文字が書けなくなってしまったようだった。詩作もその時にきっぱりと諦めてしまったらしい。また、測量士としての資格も持っており、独立して事務所を開いたが、客と喧嘩ばかりするフリーランスであり、誰にでも槍を向けていた。そりゃフリーランス違いであろう。己の信条を曲げられない故に、自分の殻の中こそ正しい世界が広がっていると信じてしまうのである。手の震えは測量の道からも足を洗う結果をもたらした。そして、開業の際の借金だけが残ってしまったようだ。
私が仕事を休んだ日の話をしよう。車を乗り回し、文章を書いては映画を見る。雨の日は窓を開けて、建設途中のアパートに被せられた幌を眺めていた。一つの水溜まりが、幌の撓みで隣の水溜まりと合流した時は口笛を吹いた。目を閉じて思い出す七月は雨の日ばかりである。
iPhoneのアプリ「Waterlogged」を使って、一日に摂取した水の量を記録し始めた。目標は一日二リットル。理由はアプリがそう決めてくるからだ。だが、それがなかなか難しく達成できた日は、恐らく月の半分もない。あと、私は自分に甘いので「あとで台所に置いてきたコップの水を飲むから、カウントしちゃおう」とか「コップ半分しか飲んでないけど、一杯飲んだことにしよう」とか、胡散臭いログになりつつある。しかし、これが継続のコツである。
一日二リットル、水を飲むようになって感じた体の変化は特にない。本当にない。トイレが近くなったくらいだろうか。あと、水以外の飲み物をなるべく飲まないようになった。コーヒーや清涼飲料水にも水分は含まれているのだろうが、もっと言えば普段の食事にも水はもれなく忍んでいるのだが、認知して計算するのが面倒くさい。故にひたすら水を飲んでいる。飽きるまで続けてみようと思っている。あと、爪が伸びるのが早くなったような気がする。
所用で広島県の福山市まで出かけたので、「ふくやま文学館」にお邪魔してきた。井伏鱒二の展示があったのだが、私は不勉強で彼の作品を一つも読んだことがなかった。一から彼のことを知っていこうと展示を眺め始めた。ああ、またか、と思うところに出くわした。ここだけではない。文学者の経歴を見て最近思うのは、「デビューした歳が自分より若いなあ」ということである。私も芥川賞を目指して小説を書いているのだが、まともに納得のいった作品を書けたためしがなく、結果が出たこともない。自分でも面白いと思えないものが、どうして他人に評価されようか。努力、努力で立ち向かうだけだ。才能と年齢の話はしない! 帰宅してから本屋で短歌の本を買うついでに、『山椒魚』を買ってきた。