皆さま、明けましておめでとうございます。昨年来は大変お世話になりました。
今年は当ブログも少し趣向を変えて記事を書いていけるように頑張って参りたいと思います。
さて、十二月、暮れに久々に仕事が忙しくなりだして、残業なんかもするようになって、改めて自由な時間が削られていく時のあの不快感を味わっていた。思うに、働くことに対して心の芯まで覚悟が決まっている人は、働けない時が苦なのであって、余暇はあくまで余った時間となるのだろう。対して、そうでなくて働くことを人生のほんの一部としか見なしていない人間にとっては、労働時間がその他の時間を侵食するのに耐えられない。これは比較の問題ではない。特定の時期に比べて自由な時間が取れていると思い込むのは慰めでしかなくて、実際はどんな形であっても削られれば痛みがやって来る。自由の軽減は絶対的なものなのだ。
ずぼらさが仇になり、いつまでもウインドブレーカーで過ごせると思っていたけれど、十二月になればさすがに寒波に体が耐え切れず、それならば厚着だとヒートテックを二枚着てシャツとセーターを着こんでいたら、体が重くて気分が滅入ってしまった。それでも寒いよりかはマシかと思ったのだが、洗濯物の量が多くなってしまうので、普通に冬用のコートを急いでクリーニングに出した。クリーニングにはお日にちをいただきますとのことだったので、どうぞ好きなだけと答えたら、一週間以上かかると言われて、その間、上半身だけアメフト選手みたいな状態で毎朝バスに乗っていました。クリーニングは早めに出そう。
十二月はとかくゲーム配信を見てしまう日々が多かった。ジャンルは格ゲー。ストリートファイターVだ。今はプロゲーマーたちがTwitchでランクマッチやトレーニングの様子を配信しており、自らの思考や流儀を外に発信してくれている。最初はウメハラ選手の配信から入ったのだが、そこでナリ君という同じくプロゲーマーの人が現れて、ウメハラ選手と対戦し始めたのだがことごとく負けて、そこでナリ君がアドバイスを求めたところ、かなり対戦ゲームの本質にかかわる重要な助言をしていた。私は当ゲームをCPU戦しか遊ばない人なのだが、なるほどと頷きながら聞いていた。
対戦の本質は駆け引き。このゲームではキャラクターごとに相性があり、また攻め方や勝ちへの青写真も異なっている。だからこそ、相手の選択肢を読んで自分の選択肢を柔軟に変えていく必要がある。特定の戦略を潰すことばかりを考えると、そうでない手を取られたときにどうしていいのか分からなくなってしまう。自分の行動で布石を置いて、相手の行動を制限するなどすれば、ある程度相手をコントロールできるが、その思惑を考えずに自分の都合ばかりで攻めると全て外れてしまう。ウメハラ選手の話を聞いていて、「ははあ」と感心することばかりであった。
例えば、有名な技で言うとリュウの波動拳。これは単純な飛び道具なのだが、この撃ち方にも上手いと下手があるというのだ。実際、ウメハラ選手の試合を見ていると、波動拳を序盤はひたすら撃って相手との間合いを管理していたのだが、試合が進むにつれて波動拳を撃っていないのに相手が踏み込みにくくなって、間合いがしっかりとれていた。
波動拳を一発撃つのもリスクがある。撃ち終わりの隙を狙われたり、弾抜けという球をすり抜けて発生する攻撃を使われたりする。そのリスクを最低限減らしながら、布石を打って相手を近づけさせない。これは技術だ。波動拳を撃ちながら戦って保持した間合いを、いつの間にか波動拳の回数が減っても維持できるようになり、最終的には波動拳なしで相手の足を止めてしまっていた。舌を巻くしかなかった。
私の印象として格闘ゲームの弾は適当にばらまいて牽制に使うものだと思っていた。しかし、プロともなると「撃たずに」牽制をしてしまうのである。
そこから楽しくなって色々なプロゲーマーの人のアーカイブスや著書を貪りだした。私は普段、RPGとかオープンワールド系のゲームしかやらず、FPSをやっても一人用しかしないというソロゲーマーだ。勝った負けたの空気が息苦しくてそうしているのだが、彼らの生きているeスポーツの世界では「負け」の厳選が一歩も二歩も進んでいる。いかに美味しい負けを食べて栄養にするか。同じくプロ選手のネモ選手が話していたのだが「例えば、三試合全部パーフェクトで勝って、それって本当に練習になってるの?」という疑問があった。今まで私は勝つことによってしか学べないことがあると、そればかり考えていたような気がする。つまり、勝つ=成功であり、成功=学びだった。自分のこの方向性は正しいのだと再認識する行為だ。ただ、いつでもそれが出来るわけではない。それに勝ちからでしか学べないとすると、負けを甘受できなくなり、それはきっと健全な学習ではないのだろう。
勝っても負けても学べるようになる。それは前述したウメハラ選手の言葉にもあった。少々方向性は異なるが、「読み合いによる対戦をした上で負けたんならしょうがない。そういう時には非常にいい考え方がある。『相手の方が強い』って思えばいい。そうすれば、自分も強くなって勝つしかなくなるんだから」と述べていた。シンプルだが真理だ。負けの積み重ね。その精度がどれだけ高まっていくかで強さの強度は違ってくるのだろう。
プロゲーマーたちに感化された私も年の瀬はスマブラのオンライン対戦に潜って戦ってました。負け負け負け。そう言えばこんなことを言うプロゲーマーもいました。「練習しないでひたすら負けてるのは、RPGで言うと装備を揃えずに強いモンスターと戦って負けまくってるのと同じ。まずは、練習して装備を揃えよう」と。ごもっともだった。
小説は電撃文庫に向けた初稿があと一歩……いや、半歩で終わりそうだった。しかし、完成は年明けになってしまうなあ。年越しの瞬間も原稿いじってました。2021年はもっとたくさん書きたいですね。そして、読みたいですね。
それでは、今後も当ブログをよろしくお願いします! もしかしたらブログタイトル変わるかもしれません! よしなに!