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Stareatphenix -一ノ瀬芳葵-

小説を書いたり、読書をしたり、写真を撮ったり、ゲームをしたりします。電子書籍を「ハイブリッドライブラリー」さまより出版させていただいております。Amazonからご購入いただけます。よろしくお願いします。

職場で泣いている人を見た

 いつも通る道にこの前菜の花が並んで咲いていて春を思わせたのが、今やカンナが咲きかけていて時の流れる速さを感じると共に、菜の花と同じ場所にカンナが咲く土地とは奇妙なものだなと考える雨の日があった。雨が降る日は道路が混んで大抵遅刻なので、それももう周りの人間も分かっているから何も言ってこない。だが、それをダシにして色々言われるのも面倒なので、いちいち出勤する度に全員に謝って回っているのだが、黙っていれば遅刻だと気づかれないものをわざわざ職場の人間全員に「おい、私は遅刻したんだぞ」と喧伝しているような気がしてならないので上司にだけ報告すればまあ良いかなと思い始めているのであった。そして、そういう日には昼過ぎに雨が上がって、退勤する頃には晴れているという場合が多い。帰り道にはカンナではなく紫陽花を見る。この花を目にするうちはまだ梅雨が続いているようなので、自分が今どういう季節にいるのかをふと思い出して意識させられる訳である。そう考えると、季節の節目にしか咲かない花というのは心理の深層に色を加えるような存在ではないだろうか。春は桜色、梅雨の時期は紫、そして白。夏とくればカンナとヒマワリの黄色である。目がちかちかするようなその眩しい色とアスファルトの熱気。咲きつつあるカンナを見るたびに、私は夏を思い出している。

 

 家のものを整理する機会があって、今月の私は随分とものを捨てたような気がする。本や雑貨、そしてCD。二束三文で売り払ったものもあるけれども、多くは一般ゴミとして処分してしまった。夢中で集めた缶コーヒーのおまけのスーパーカーミニチュア(ランボルギーニの名車が一揃いしていた)、造形が細かいポケモンのフィギュア、まだ新しめのサンダーバード五号のおもちゃ、ウルトラマンに出てくる間抜け顔をした怪獣のソフビ人形……。私はそれらをゴミ袋に放り込む度に「思い出は物に宿るものではない」と自分に言い聞かせながら整理を遂行していた。思い出は記憶に宿るのだ。胸の中にその物質はしっかりと刻まれている。だから、別れても大丈夫だ。そう割り切らなければ辛いだけの作業になっただろう。全てが終わったあとで、深夜に降る静かな雨を聞きながら、近場のコンビニで買ってきたビールをちまちまと飲んでいた。美味くなかったので、今日まで禁酒している。

 

 職場で泣いてる人を見た。いつも笑顔で仕事に励む女性だった。周りから慰められてまた頭を下げながらひたすら泣いていた。ミスをしたわけでは無さそうだ。ただ、人間関係のこじれから陰口を叩かれたり、仕事を全うしているだけなのに嫌がらせをされたり、まあ、積もり積もったいざこざの集大成がここに来て姿を見せたのだろう。それを見て私は「しばらく自分は泣いてないな」と思っていた。ものを捨てるとき、人と別れるとき、映画を観たとき、ことある毎に泣く機会を逸している。とあるアニメのファンである友人は、そのアニメの映画を13回観たらしく、ちょうど13回目の視聴で泣いたらしい。なかなかに興味深い。私ならばむしろ欠伸で涙が止まらなくなるだろう。もしかすると、夢中になったものがある人にはお馴染みの感情なのかもしれない。泣けるほどの情熱を注げるものがある人は、それだけで幸せだ。私は、職場で泣いている人を見た日、「ものを捨て去った日にビールなど飲まず、ただ泣くべきだったのではないか」と思っていた。捨て去った多くの物品が今この雨が降る世界のどこにいて、どうなっているのか、それについて深く想像をしてみれば、随分と泣けそうな気がしてきた。思い出が胸に宿るのは間違いが無いとしても、別れても大丈夫とは言い切れない。だから、私はまた今度雨の降る日にビールを飲もうと思う。まずくても少々は我慢をしよう。