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Stareatphenix -一ノ瀬芳葵-

小説を書いたり、読書をしたり、写真を撮ったり、ゲームをしたりします。電子書籍を「ハイブリッドライブラリー」さまより出版させていただいております。Amazonからご購入いただけます。よろしくお願いします。

夜闇の折り目

涼しさの向こう

北へ進む列車は

街に音を残して

たたんたたんと

通り過ぎていく


誰が乗っているのか

想像しようとしたが

たくさんの人の中で

闇へと消えることは

夏の出来事ではなく


これからやってくる秋と同じく

いつものように過ぎ行くだけの

四季折々の顔つきにふと驚いて

静かな夜に何もかもを感じ取る

職場で泣いている人を見た

 いつも通る道にこの前菜の花が並んで咲いていて春を思わせたのが、今やカンナが咲きかけていて時の流れる速さを感じると共に、菜の花と同じ場所にカンナが咲く土地とは奇妙なものだなと考える雨の日があった。雨が降る日は道路が混んで大抵遅刻なので、それももう周りの人間も分かっているから何も言ってこない。だが、それをダシにして色々言われるのも面倒なので、いちいち出勤する度に全員に謝って回っているのだが、黙っていれば遅刻だと気づかれないものをわざわざ職場の人間全員に「おい、私は遅刻したんだぞ」と喧伝しているような気がしてならないので上司にだけ報告すればまあ良いかなと思い始めているのであった。そして、そういう日には昼過ぎに雨が上がって、退勤する頃には晴れているという場合が多い。帰り道にはカンナではなく紫陽花を見る。この花を目にするうちはまだ梅雨が続いているようなので、自分が今どういう季節にいるのかをふと思い出して意識させられる訳である。そう考えると、季節の節目にしか咲かない花というのは心理の深層に色を加えるような存在ではないだろうか。春は桜色、梅雨の時期は紫、そして白。夏とくればカンナとヒマワリの黄色である。目がちかちかするようなその眩しい色とアスファルトの熱気。咲きつつあるカンナを見るたびに、私は夏を思い出している。

 

 家のものを整理する機会があって、今月の私は随分とものを捨てたような気がする。本や雑貨、そしてCD。二束三文で売り払ったものもあるけれども、多くは一般ゴミとして処分してしまった。夢中で集めた缶コーヒーのおまけのスーパーカーミニチュア(ランボルギーニの名車が一揃いしていた)、造形が細かいポケモンのフィギュア、まだ新しめのサンダーバード五号のおもちゃ、ウルトラマンに出てくる間抜け顔をした怪獣のソフビ人形……。私はそれらをゴミ袋に放り込む度に「思い出は物に宿るものではない」と自分に言い聞かせながら整理を遂行していた。思い出は記憶に宿るのだ。胸の中にその物質はしっかりと刻まれている。だから、別れても大丈夫だ。そう割り切らなければ辛いだけの作業になっただろう。全てが終わったあとで、深夜に降る静かな雨を聞きながら、近場のコンビニで買ってきたビールをちまちまと飲んでいた。美味くなかったので、今日まで禁酒している。

 

 職場で泣いてる人を見た。いつも笑顔で仕事に励む女性だった。周りから慰められてまた頭を下げながらひたすら泣いていた。ミスをしたわけでは無さそうだ。ただ、人間関係のこじれから陰口を叩かれたり、仕事を全うしているだけなのに嫌がらせをされたり、まあ、積もり積もったいざこざの集大成がここに来て姿を見せたのだろう。それを見て私は「しばらく自分は泣いてないな」と思っていた。ものを捨てるとき、人と別れるとき、映画を観たとき、ことある毎に泣く機会を逸している。とあるアニメのファンである友人は、そのアニメの映画を13回観たらしく、ちょうど13回目の視聴で泣いたらしい。なかなかに興味深い。私ならばむしろ欠伸で涙が止まらなくなるだろう。もしかすると、夢中になったものがある人にはお馴染みの感情なのかもしれない。泣けるほどの情熱を注げるものがある人は、それだけで幸せだ。私は、職場で泣いている人を見た日、「ものを捨て去った日にビールなど飲まず、ただ泣くべきだったのではないか」と思っていた。捨て去った多くの物品が今この雨が降る世界のどこにいて、どうなっているのか、それについて深く想像をしてみれば、随分と泣けそうな気がしてきた。思い出が胸に宿るのは間違いが無いとしても、別れても大丈夫とは言い切れない。だから、私はまた今度雨の降る日にビールを飲もうと思う。まずくても少々は我慢をしよう。

色めく世界とカラスの話

 スーパー銭湯というものが好きで、そろそろやめようと思っているのだが、一週間に一度は通うようになってしまっている。元々は一人暮らしを始めたとき、風呂掃除が面倒だという理由から土日のどちらかは外に入りに行こうという発想から始まったのだが、案外広々とした浴槽というのは心地が良くてすっかり気に入ってしまった。それからしばらくニートをしていたのだが、その時は経済的余裕から封印しており、そして再び働くようになってまた色々な場所をめぐるようになってしまった。広いお風呂は良いですよ。ただ純粋に広い浴槽があればいいというシンプルなニーズも、そんな状況になってくると様変わりしてくるわけで、行くスーパー銭湯によっては当たり外れというものも出てくるようになった。先々週までは同じ所に三週間連続で通っていたので、そろそろ開拓しようと地元のスーパー銭湯に行ったのだが、これがあまり良くなかった。どこが良くなかったのか具体的に挙げようとするとキリがないのだが、まあ、すでにこだわりはそういうレベルまで来てしまっている。漠然と述べるのならば全体的に古い。ボロいと言った方が適切かもしれない。湯船から床まで年季が入っており、いったいいつ作られた所なのか邪推してしまうほどであった。だが、そういう場所にも面白いところはあって、その古めかしさを誤魔化すために奇抜な風呂が用意されており、泡の出る浴槽に色が一定時間で変化していくライトを照らしていくというものがあった。つまり、照明を当てられた風呂である。泡立っているので色によってはまるで無数のビー玉が水面を転がるように見えて、実に幻想的な気分になれた。でも、二度と行かないだろう。いや、言い過ぎだ。しばらくは足は向かわないだろう。やっぱり三週間連続で入りに行っていた場所が、何だかんだで気に入っていたのだ。

 

 気に入っていたと言えば、すごく重宝しているボールペンがあって、書き心地が私の求める究極の域に達しているものがあるのだけれど、多くのボールペンがそうであるように、値段によってタイプが違う。例えば150円から買えるようなお試し版のようなものから、外装をリッチにした1500円くらいのものまで。書き心地はおそらく変わらないのだろうけれど、ちょっとした軸のバランスとかノックの音だとかそういうこだわりがあるとやっぱり高いものの方が良いのかも……と思ってしまうのがまあ人の心というもので、先日酔っ払った勢いで気に入っているボールペンの外装究極バージョンをポチってしまったのですね。4000円くらい。それが今日届いたんですけど、開けてみて手にとって「ふむ……」と険しい顔になって、さらに文字を書こうとして手を止めて、色々考えてからまた箱に戻してしまいました。バランスが気に入らなかった。やっぱり150円のやつの方が軽いし気軽だし指になじんでいる感じがありました。なじんでいるのは貧乏か? ……ううむ。このボールペンは贈呈用にします。誰かの記念日に送ろう。決めた。

 

 先週は一日だけ会社に遅刻をしてしまって、寝坊でも何でもなく、駅のホームでカラスを間近で観察できる機会があったからだ。ホームをゆっくりと脚力で飛び回っているカラスの姿には「どうしてそうなっているんだろう」というような不思議な魅力が細部に詰まっていて目が離せない。折りたたまれた羽根は、どうして人間の折りたたみ傘のように不格好に畳まれず、かと言ってユニクロの洋服のように店頭で綺麗に整っている訳でもなく、あれほどまでに自然に収まっているのだろう。脚だって木の枝とも違う滑らかさがありそうだし、細さはそこまで変わらないけれど全く違う物質のように見えるのはそれを自分が勝手に「脚」と認識しているだけなのではないかと思ってしまう。もしかしたら、この世界のどこかにはあのカラスの脚と同じような質感の枝があるのかもしれない。あるわけないですよね。遅刻には気をつけます。

祖父の世界

襖を開いて奥の部屋をのぞくと

そこには祖父の座椅子があった。

翌日訪れたとき、座椅子があった場所にはおもちゃと缶詰が積まれていた。

三回忌の今日

僕は一服しているとき

熊手やらビニールプールが置かれている場所で

その座椅子を見つけて

襖の奥のその部屋へ持ち込むと腰をかけてみた。

ああ

ここからは庭の山茶花がよく見える。

泥にまみれた銀杏の

いいにおいがする。

 

 

 

 

私たちのバイクの旅と、ささやかながら与えられた救いについて (Hybrid Library)

私たちのバイクの旅と、ささやかながら与えられた救いについて (Hybrid Library)

 

 

新しくないことを新しく

 年末はとにかく酒を飲む機会が多くて困ってしまう。基本的に私はアルコールを好んで飲むタイプの人間ではないので、コップを空にしておくと不安になってしまう。どうも宴会の席では「コップを空にしておく」=「暇を持てあましている」みたいに捉えられるらしく、やたらと酒を勧められてしまう。なので、ビールを早々に空にしてしまうとすぐに「何か飲みますか」と誰かしらに勧められてしまい、ついついもう一杯……となってしまう。断れば良いのだが、その「何か飲みますか」と促してくる人の笑顔を曇らせたくなくてついついこちらも作り笑いで「それじゃ、ウイスキーでも……」となってしまう。それは善意の犠牲であり、酔っ払ってふらついても自分が悪かったなとなるのだが、そうではなく「何か飲みますか」の代わりに「何飲む?」と聞いてくる人もいるのは辟易とする。こちらは飲むことが前提となっており、断るとかなり気まずい……のでウイスキーを飲んでしまう。そんな時にソフトドリンクでも頼めれば良いのだが、それでは例えばコーラでも頼もうものなら別の人から「何だ、もう飲めないのか」と聞かれてしまう。ここでも正直に「はい、飲めません」と言えば良いのだが、私は嘘をつくのが嫌いだ。だから飲んでしまう。結果、飲み過ぎになってしまい、いつも帰りのラーメン屋で後悔する。

 

 結局私は酒好きではないのかと思えてきたが、そうではない。酒が好きなのではなくて、酒が提供される場が好きなのだ。と言うわけで、大人になったら行きつけのバーくらいは持っていないとなという話になるのだが、そんな考えをいつからか抱いていた。終電が無くなってもやっていて、近所であり、値段も相応、そして何より静かである……そんな店があれば良いなと思っていた。店を出る時に「おやすみ、マスター」と告げて、家に帰ったら本当にそのまま寝られるような、そんな自宅感覚に近い飲み屋が必要だった。ということで、私はとりあえず駅から近い巡に色々なバーに足を踏み入れることにしている。危ないところはもちろんパスだ。この前行った場所はあまりこの私の理想からすると、遠いバーであった。何とお通しがでるのである。小松菜を箸で摘まみながらスプリングバンクの10年を口にしていると、それはそれは、まあ、自宅で飲んでいる気分になる。この日常感。気取らない感じがまた良いのかもしれない。ただ、酒とクリームチーズで1600円も取られた。どういう値段設定になっているのかは知らないが、随分と強気である。この店には二度と足を運ぶことはないだろう。悪い店ではないのだが、ただ私の理想から離れているというだけだ。ワインの種類が豊富な店なので集まっての飲み会には良いかもしれない。私の地元に人が集まる機会はそうそう無いだろうが。

 

 つい先日の飲み会では数人でしゃぶしゃぶを囲んだ。ここではアルコール類は最小限だったのだが、感心したことがあって、それはK君という私より四つ程年下の青年の振る舞いである。彼はとても気の利く性格であり、料理の注文、そしてテーブルに出ている料理の取り分け、料理の食べ方などなど、全員にきめ細かく気配りをしてくれていた。思わずこの店の店員なのだろうかと錯覚した程である。そんなK君のお陰で、私はほとんど何もしなくてもおいしくしゃぶしゃぶをいただけました。これほどまでに出来た青年なのに、何と彼はまだ一人身であり浮いた話が一つもないようだ。不思議な話もあるものである。

 

 不思議と言えば、今年もあと一日二日だというのに、まるでうちの家族にはその自覚がないのである。まあ、新年を迎える自覚とは何かと改めて考えると微妙な話題なのでここでは控えるが、このまま年を越してもきっと彼らは気づかないのではないだろうか。それで休みが終わる頃になって年が明けているのに気がつくという寸法だ。それはそれで去りゆく年への未練を引きずって引きずり倒しているよりかはマシなのかもしれないが、少しは「去りゆく今年」のことを大切にしても良さそうだと思ってしまう。それとも度重なる忘年会で、そういった情念を全て忘れ去ってしまったとでもいうのだろうか……。

 

 私自身、今年は多くのチャンスに恵まれた。にもかかわらず、それを上手く生かせなかった。だが、悪いことばかりではない。転んでばかりの今年だったけれども、確かに収穫はあった。来年はこの手応えを武器にして気を緩めずにやっていきたいものである。とにもかくにも、電子書籍を出版したことが大きな出来事としてあり、それを取り巻く様々な人間模様、経済模様、哲学、心理学……色々と勉強が出来た。こうして改めて胸の中で振り返ると、もう古くさい記憶だと思っていたことについて、実は結構頑張っていたのではないかと新しい見方も出来るようになってきた。こういう出来事に来年もたくさん出会いたいですね。

 

良いお年を。

『私たちのバイクの旅と、ささやかながら与えられた救いについて』をめぐるインタビュー 第二弾「イラストレーター じゅりさん」

まだ社会保険の手続きです。明日で終わりにするぞー!

 

というわけで、『私たちのバイクの旅と、ささやかながら与えられた救いについて』発売企画、第二弾です。前回は編集の弥生さんにお話を伺い、作品の中身についての紹介をしてきました。

 

今回は『私たちのバイクの旅と、ささやかながら与えられた救いについて』に大いなる力を加えて下さっているヴィジュアル面について特集します。

 

本日は、今作に表紙と挿絵で参加して下さったじゅりさんに話をお聞きします。じゅりさんはアメリカで活躍されているイラストレーターさんで……どういう方なのかを知るにはご本人のサイトを覗いた方が早い!

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アメコミを中心にお仕事をされているようですね。神々しい絵ばかりが並んでいてアーティスティックです。補足致しますと、じゅりさんは初期より合同誌「hybrid」に参加されており、毎回味のある作品の挿絵を担当されておりました。そして、Hybrid4のワールドでは表紙も描かれております。弥生さんの主宰された艦これ合同誌『私の艦これ』では、私の『武蔵』という作品に素敵な武蔵さんを描いていただきました。そして、今回も是非お力をお借りしたいと思い、本作のイラストを担当していただくことになりました。大変お世話になりました。

 

それではインタビュースタートです。
よろしくお願いします。
(敬称略です)

 

イメージを描き「寄せて」こられる力

 

一ノ瀬「振り返ってみるといつもですけれど、じゅりさんに初稿をお渡しした段階で特にこちらは明確な『これが!』という指定をこちらは出さないのですが、こういうスケッチ

 

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をいきなり描いて下さるんですよね。しかも、これが全て私のイメージした通りのものになっているのですが、じゅりさんは超能力が使えるのでしょうか?」

 

 

じゅり「イメージ通りだったのならよかったです~! 超能力、使えたらいいですね……。私は自分の頭の中にあるものですら思い通りに描けないまだまだな絵描きなので、一ノ瀬さんの描写のお力だと思います。

 

『武蔵』の時も感じたのですが、一ノ瀬さんの描く人物は 過去も未来も地続きで『そこにいる』存在感がありますね。菜津美ちゃんが『今時手紙とかないわー』とぼやきながら、そこそこまめに加菜さんと文通して、興味はちょっとあるけど自分ではなかなか手を出せなかったお化粧品を 大学入学祝いにもらう所まで想像できます!!笑」

 


一ノ瀬「ありがとうございます。しかし、何ですかその後日談! 読みたい! 面白そう……。そうか、私が描けば良いのか。と、イラストレーターの方とこれまでも色々とやり取りをさせていただきましたが、じゅりさんには本文をしっかりと読んで頂いているなと感じることが多いです。小説はお好きなのでしょうか?」

 


じゅり「読書はジャンルを問わず好きです。小説は一番好きなエンターテイメント媒体かもしれません。日本にいた頃は毎月数冊購入していたのに加えて、3つの図書館を週替りで巡回していました笑 一度読み出すと色んな事を放り出して読みふけってしまうので、今はKindleで仕事の資料を読む程度です。老後にまた沢山本を読みたい!!」

 


一ノ瀬「それはそれは、凄まじい読書好きさんですね……。私も週に1冊読むか読まないかですが、読書は映画の次に好きです。私は老後、映画を堪能します。それでは、『私たちのバイクの旅と、ささやかながら与えられた救いについて』を初めて読まれた時、どのようなことを感じられましたでしょうか?」

 


じゅり「最初から最後まで コーヒーのいいにおいがするお話ですね笑 このお話は震災という舞台装置も大事ですが、芯は菜津美ちゃんという女子高生の人生についてだと受け取りました。私自身も菜津美ちゃんのような擦れた女子高生だった事や、彼女とおばあちゃんとの関係に加え、(私の場合 仲がよかったのは祖父で、距離があったのは祖母でしたが)丁度お話を頂いた頃に祖母がなくなり、私も彼女が山のように遺していった祖父との古い写真を色々眺めた後だったので、ずっと共感しながら読みました。

 

なぜ私がアメリカに来たのか、なぜ今こうして絵を描いていられるのか、人生の分岐点を思い出させてくれて、 個人的な思い入れも一杯ある作品です。」

 


一ノ瀬「それは光栄です。そんな風に仰っていただけると、とんでもないものを書いたなあという気分になります。私も一昨年祖父を亡くしまして、それこそ『一生分なのか?』ってくらいの写真が出てきました。一枚一枚目を通し、その時に色々考えたことがこの作品にもにじみ出ている気がします。

 

さて、表紙の話題に移りますが、じゅりさんは常に複数案を用意してラフを描いて下さりますよね。それぞれにちゃんとした意図が込められており、どれにも妥協の線は無いように思われます。こうした複数の案を出す時には、やはり『本命』を決めておられるのでしょうか?」

 


じゅり「どの案もいわば『種』の状態なので本命といえるほど肩入れする案はないのですが、この案は描き易い、この案は面倒くさい、この案は技術的に得意ではない、というような差はあります。自分が編集だったら このお話ではこの絵を選ばない、という案も勿論あるのですが、そういうものは大体自分一人ではできなかった表現に辿り着けるので、選んで貰えるとありがたいです。はいぶらりーのようなインディー形態だと、作者さんが何を求めているか直接の声を聞けるのでうれしいですね(ちなみに本業では最低10案くらい出すところからスタートします。アメリカでは多分、ポピュラーなやり方だと思います。)」

 

ドラマを支配する色を選ぶ

 

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一ノ瀬「表紙ラフはこれを選ばせていただきました。かなり贅沢な選択だったと思っております。さて、この画面は本文のどういう雰囲気をすくい取って作られたものなのでしょうか?」

 


じゅり「北国の厳しい冬の冷気の中を旅して、朝日にたどりついた二人です。本文のなかにある特定のシーンではなく、全てを読んで私が抱いた『感想』がこのラフでした。私は北国育ちですが、冬の明け方って本当に容赦のない冷たさなんです。白くて遠くて、やさしさが全然ない。そこに朝日が昇り始めて、陽の当たった部分からじんわり暖かくなっていく感覚ってすごく安心します。月並みだけど『希望』って言葉がぴったりだと思っていたので二人の旅を表わすのには 適切なセッティングかなと思いました。」

 

 

一ノ瀬「普段、じゅりさんはファンタジーの絵を描かれることが多いと存じますが、このラフにかんして特に苦戦したのはどういった部分でしょうか?」

 


じゅり「ほとんど描いた事がなかった バイクは技量的に大変でした笑 何台かバイクをみて回ったのですが、作中に出てくるモデルを持っている知り合いがいなくて ネット以上の資料がありませんでした。細部がよくわからなかったので詳しい方が見ると『何だこのバイクもどきは??』となるかもしれません。すみません……。あと構図がシンプルなので その中でどれだけ『ドラマ感』を演出できるかもちょっとした挑戦でした。」

 

 

一ノ瀬「それから、表紙を完成させていただきまして、拡大してまじまじと見てしまう程に素敵だったのですが、表紙について『ここを見てくれ!』とか『ここは特に力入れた!』みたいな部分はございますでしょうか?」

 


じゅり「そういっていただけると嬉しいです、ありがとうございます! ここを一番表現したかった、というところは先にちょっと触れた北国の白い夜明けと、そこに差し込む朝日の暖かさのコントラストだったのですが、上記の『ドラマ感』を出すために、最終的には大分青系に色を振ってしまいました……。最初のアイディアスケッチやラフではまだ白や灰色っぽいですね。」

 


一ノ瀬「私も作品を書くと何となく『この作品は何色だな』と思うのですが、書き終えた当初は『灰色』だったのですね。それがこの表紙を拝見して『ああ、違った、白だ』となりました。それも、何もないという意味合いの白ではなくて、仰られたような『光』としての白です。ヴィジュアルにおこしていただいて、自分の作品のイメージが変わったり、アクセントがついたりするので絵師さんとのやり取りは毎回楽しいです」

 

 

「ビネット」と「写真」をめぐる実験について

 

一ノ瀬「普通のラノベならば、ここに挿絵が入って……という話になるのですが、今回はそうならなかったですよね。本作ではビネットと呼ばれる、アメリカの古典的な書籍や児童書で見られるような表現方法(?)を用いています。私は当初、挿絵案を考えていた時に『今までのようにどこかのシーンを描いていただくのではなくて、シーンの継ぎ目を表わすようなものを描いていただきたいなあ』と思っていたのですが、じゅりさんがビネット案を持ってこられて『これだっ』ってなったんですね。本の合間合間にカットのような絵が入る感じで、それが最終的には『写真』というこの物語にとって重要なアイテムとなって具体化するのですが、じゅりさんが『ビネットでいこう』と思われたのは、どういうきっかけからなのでしょうか?」


じゅり「私は物語を読むと大体そのシーンが映像で頭に浮かぶのですが、今回はそれがシーンではなく、要素要素を捕らえた写真だったので深く考えず、思い浮かんだまま ポラロイド写真風にした絵でビネットはどうだろう? と提案しました笑『武蔵』の時ははっきり空気の湿度まで感じるような映像が思い浮かんだので、 これも一ノ瀬さんの描写のお力だと思います。」

 


一ノ瀬「ありがとうございます! 物語を作る時はシーンまでプロットを練ります。いくつか今回も象徴的なシーンは用意したのですが、どれも『この作品を表わすのに効果的か?』というラインで迷っておりました。そんな悩みもあったのでビネット案がうまくはまったのかもしれませんね。

 

それから、実は写真も何枚かこの作品には入っております。弥生さんが実際に被災地を訪れて撮影したものなのですが、これの加工もじゅりさんにお願いいたしました。見違える程に良くなったのですが、普段から写真の加工はやられるのでしょうか? また、本作に写真を入れようという私と弥生さんの案に対して、何か思うところと言いますか、感じたことはありましたでしょうか?

 


じゅり「普段は仕事の資料用に一眼レフをつかったり、携帯で撮った写真をアプリで加工する程度ですが、主題のみせかたや、 コントラスト、色味などの調整は 絵を描くのと同じ要領でPhotoshopを使ってやりました。良くなっていたと思っていただけたら良かったです~!

 

写真を入れると聞いた最初の時点では、それなら挿絵ない方がいいんじゃないかな…?と思ったのですが小説と実際の写真だけで構成されたお話を想像した時に、うまく説明できないのですが『温度が低い』と感じました。ビネットで私の絵もポラロイド風にした事で、実際の被災地の現在の写真、アルバムに集結される東北での旅のお話と全部一本の糸で縫い合わせる事ができたのかもしれません。」

 


一ノ瀬「絵としていただいたのは9点で、それをふんだんに使用した贅沢な本作ですが、じゅりさんの中で最初に『描こう』と思えたカットはどれでしょうか? また、『これには苦労させられたなあ』というカットもあればお教え下さいませ。」

 


じゅり「最初に描こう、と思ったのはコーヒーを飲む加菜さんの手ですね。実は小説の中では大幅に削られてしまったというシーンを元にして描きました笑 感想の部分でも述べたのですがこのお話はずっとコーヒーのにおいがします。苦労したのは ラーメン! 描きながらラーメン食べたい欲が高まって困りました。あと描きたいけど時間やページ数の配分なので描けなかったものは一杯あって困りました……。」

 


一ノ瀬「確かにコーヒーを嗜んでいる二人の場面、かなりありましたよね。随所随所で飲んでる気がしてなりません。実際、これはココアとか紅茶とかでも良いのですが、そんな発想は一度もありませんでしたね。加菜などは紅茶の種類まで割とこだわりそうで、蘊蓄も語りそうなのですが、バイクという設定の硬派さがそうさせたのかもしれませんね。

 

それから、一番描きたいと思って下さった場所を、私の方で知らずに削ってしまった大失態がありましたね。申し訳ないです。あの場面は確かに大切で気に入っていましたし、メッセージ性も強いかなと思ったのですが、この作品に突っ込むと何だか滑らかにならないんですよね。別のテーマを扱っていると言いましょうか。ですので、この作品の線を結んでいく点としては除外してしまいました。しかし、また別の作品で何らかの点となって作品の重要な一部になると思われます」

 

挿絵の可能性へのこだわりと多大なるじゅりさんのご助力

 

一ノ瀬「色々とお話を頂きましたが、じゅりさんはアメリカで色々と絵のお仕事をされていまして、アメコミやらアメリカのカードゲームが好きな私としては、実際に今年の五月に直接お目にかかった時、色々なお仕事の話を耳にして驚きました。そのように色々な形態の絵を描かれている中で、じゅりさんにとって小説の挿絵とはどういったものなのでしょうか? また特に気をつけたりこだわったりしている部分はありますでしょうか?」

 


じゅり「私は自分ではお話を作る事ができないのですが、小説に絵をつける時は『お話を絵にする』事を体験させてもらえるので 毎回とても楽しいです。上記の通り、小説は私が一番好きな媒体なので 小説を読むというご褒美つきのいいお仕事です笑 今後はもっと『お話を絵にする』タイプのお仕事を増やしていきたいかもです~。

 

こんな風にはしゃいで小説の挿絵をしていますが、挿絵をする時は『描きすぎない』事を心がけています。せっかく小説なんだから、読む人が一人ひとり 自由に想像する余地がある物がいいな、と 読書好きの絵描きとしては思うのです」

 


一ノ瀬「本の完成が迫った段階において、じゅりさんには作品についての表現について、様々な指摘を頂くことがありました。その節は色々とお世話になりました。『よく考えてみればそうだなあ』というような、私と弥生さんが気づかなかった部分まで読み込んでいただき、何度も恥をかかずに済んでいます笑

 

私も読者の想像力に委ねたいと考える場面は多々あります。ただ、作品には二種類あって、完全にビジュアルイメージ不要のものと、どこかで作品としてリードとなるビジュアルが必要なものとがあります。今作は完全に後者なのですが、それにしてもじゅりさんの本文から情景を読み取っていただく力が強く、最良の形で本作の印象を強力に引っ張っていただけたのだなと実感しております。本当にありがとうございました!」

 

 

インタビューを終えて


この度は無茶をお願いして、表紙イラストだけでなく作品全体のイメージ周りを固めていただいたじゅりさんにインタビューをさせていただきました。はいぶらりー、というよりHybridでは割と絵師と作家と弥生さんの三者で話し合い、その作品についてどういうイメージを持つかを話し合います。もちろん絵師さんにも様々な方が居ますので、仕事のやり方や進め方は違いますが、それも話し合いの上で決めます。二三度のメールのやり取りで全てが完了する場合もありますし、表紙のラフを描いていただくまでにかなりイメージの共有ではありませんがメールやチャットでの話し合いを進めることもあります。

 

今回のじゅりさんの場合は、インタビューでも仰っておりましたが、本文をとにかく読み込んで絵にして下さる方なので、こちらから特に指定は出さないんですね。描いて欲しいシーンの希望は一応出すのですが、じゅりさんが描いてみたいと仰って下さって提出していただいたものが結局は一番素晴らしいんです。個人的には「そこ!?」と思うシーンも絵にして下さるのですが、よくよく考えると「アリだな」となることもしばしばでした。本当はもっとラフをいただいておりますし、お見せしたいのですが恐ろしい長文記事になってしまうので限定させていただきました。

 

『私たちのバイクの旅と、ささやかながら与えられた救いについて』もかなり感想が集まって参りました。全体的に内容よりもビジュアルにかんする言及が多い気がして、何となく複雑な気分です笑 それでも、やはり自分たちで作り上げたという実感がありますから、どこを評価していただいても喜びしかありません。

 

今回のセルフパブリッシングからまた一つ考えたことがあって、それが「ビジュアルを含めた自作のセルフプロデュースについて」です。小説を書く身としては何となく自分の文章だけで勝負したいという考えもあります。そして、その結果苦い経験をして、何らかの方針転換を迫られる場面もあります。もちろんそれでも文章一本で行くという選択肢もありです。私も色々と痛い思いをしてきていますが、それでも機会があればビジュアルに一切頼らない、純粋な読み物としての小説を書いてみたいです。

 

ただ、電子書籍での出版には印刷代がかかりません。だからこそ、色々な所に資金が回せるはずです。編集を雇ってみたり、絵師さんにイラストを頼んでみたり、いわばセルフプロデュース作品ができます。ゲーム製作の場面では割と一般的な発想のような気がしますが、この界隈ではあまり流行していないように思われます。

 

別に出版社だけが絵師に仕事の依頼ができるなんてルールはないんですし、個人も資金があるのならばどんどん絵師さんに仕事を依頼するべきだと私は思います。受けてもらえるかどうかは別ですが……。最低限の礼儀とマナー、そしてなるべくなら高額でのオファー……そうなってくるとノウハウが欲しいところですね。そういった知識を持っていらっしゃる方は情報を本にしてみるのも良いかもしれません。『セルフパブリッシングにおけるプロデュース方法』みたいな。

 

こういった電子書籍出版の考え方は「利益をとにかく出す」というよりは、自分の作品を目一杯楽しむという方に比重がいくのかもしれません。プロジェクトを動かして、とことん「作品発表」について追及してみる。この挿絵のイメージはどうなんだ、このイラストはどこに入れるのが良いんだ……。

 

……助詞が……ヒロインの髪型が……


「ここの表現、おかしくない!?!?!?」


そういうやりとりをするのは……とても……楽しいことです。
勉強にもなります。
ぐす……何のだろう。


私ははいぶりの土台があったので、そのやり取りがスムーズにいきました。参加者がもう何年も続いている付き合いですしね。その点についてはラッキーだったと思っております。

 

ただ、「出版」のハードルが下がった分、資金をより自分の作品に使える。他の人を巻き込んでより大きなことができる。そのことを知っていただきたくて、今回はじゅりさんとのやり取りを振り返るという形でインタビューをさせていただきました。どうもありがとうございました!

 

 

最後に書いておきますと、絵師さんにも様々なタイプがおられます。私も数名の方とやり取りさせていただきましたが、同じやり方で進めたことは多分無かったと思います。こっちからリードするのが良いのか、それとも向こう主導でやっていくのが良いのか……。本当は作家と絵師さんの間に編集さんが入っていただく形が一番良いのですが、編集に徹することのできる方が何人居るのか、というところです。なので「捨て編集者」を見かけたら丁重に保護です! というのは冗談にしておいて、人付き合いに正解がないのと同じように、プロジェクトの進め方にも正解はないのだと考えます。ただ、ベストは無くてもベターは存在する。ですので、ネットや何やらで調べて、ベターな道を探し続けるのが無難かと思います。

 

ツイッターでも絵師さんとの付き合いについてはたびたび取り上げられておりますし、ご興味のある方は一読されるのも良いでしょうね。

 

そして、恐らく弥生さんかどなたかが何らかの形でノウハウを示して下さるでしょう。いつか……きっと……。ビジネス書か何かで……。

 


という他力本願で締めたいと思います。

 

 

私たちのバイクの旅と、ささやかながら与えられた救いについて (Hybrid Library)

私たちのバイクの旅と、ささやかながら与えられた救いについて (Hybrid Library)

 

 

 

 

 

↑こだわり抜かれたイラストと写真のコラージュ的表現と共に、本文もお楽しみ下さい! 

 

 

 

 

Amazonギフト券- 印刷タイプ - Amazonオリジナル

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こういうアマゾンギフトカードをコンビニで買ってきて、後はAmazonのアカウントとアプリがあればパソコンでもスマホでも読めます。

Amazonでよくお買い物する方はポイントで買えちゃったりもしますよ。

『私たちのバイクの旅と、ささやかながら与えられた救いについて』をめぐるインタビュー 第一弾「Hybrid Library主宰 弥生肇さん」

一日が短く感じる今日この頃。

私は今日も社会保険の手続きです。

 

いや、そんな話はどうでも良く、今回は『私たちのバイクの旅と、ささやかながら与えられた救いについて』発売記念ということで、関係者インタビュー(第一弾)を行いたいと思います。

 

『私たちのバイクの旅と、ささやかながら与えられた救いについて』が発売されてから日が経ちました。ちらほらとネットで感想も頂けております。ありがたい限りです。様々な受け取り方をされているようで、書いた甲斐があったと安心しております。

 

目に付いた感想については、またこの場で取り上げさせていただくかもしれません。

 

本日は、Hybrid Libraryの主宰で『ダイヤモンドダスト~灰になった物語~』の作者でもある、弥生肇さんに本作について色々とインタビューをさせていただきました。

Hybrid Libraryに秘められた想いやレーベルを立ち上げた本音(!)も聞けるかもしれません。
それではよろしくお願いします。
(敬称略です)

 

 

「もどかしさ」とその正体を探り続けたプロットと初稿


一ノ瀬「まず、この作品のプロットを提出したのが2015年の初めくらいだったと記憶しているんですが、最初にこの話を読んだ感想というか、印象はどのようなものでしたか?」


弥生「簡単に言えば、『惜しい』『もどかしい』でした。プロット初見時は、震災という大きくてデリケートな題材を使う決断をよくできたなと驚きました。ただ、その題材を活かせるほどにテーマがくっきりしてなかった。菜津美がなぜ毎日に疲れているのか、なぜ物語のラストで救いを感じるのかが、プロットでは漠然としていました。初稿でも、その漠然とした感覚は消えませんでした。(ここから先の感想は、このあとの質問で答える形になります)」


一ノ瀬「正直、ハイブラリーがラノベに重点を置いて作品をリリースしている中、この作品を出すことにためらいはありませんでしたか?」


弥生「はいぶらりーがラノベに重点を置いているように見えるのは意図しているわけではなく、結果的にそうなっているだけですね。私が今までライトノベル合同誌をやっていて、その縁の人たちで始めたので、はいぶらりーがラノベ書きばかりというだけなのです苦笑。だから、毛色の違う作品はむしろ大歓迎でした。」


一ノ瀬「初稿の段階で、何か『ここが惜しいな』とか『ここをこうしたらもっと良いのにな』とか、無数にあると思うのですが、強いてあげるとするならばどの部分でしょうか?」


弥生「最初の質問の回答の掘り下げになりますが、『主人公の変化の小ささ』が劇を小さくしてしまっていると思いました。プロットの段階では、菜津美がただ受験や毎日に疲れてるどこにでもいそうなネガティブな学生でした。そして結末は、その菜津美が『祖父の大切なこと』に触れ、『よし、がんばって受験しよう』と決意するだけ。せっかく、大震災という未曾有の規模のできごとと祖父の『大切なこと』という題材を用意してあるのに。

だからもっと、菜津美がなぜネガティブなのかを物語として作り込んで欲しかった。そして、その菜津美をネガティブに堕とした何かを浄化するような結末、心境の変化を描いて欲しかった。プロットのやり取りを経た初稿では、それがほんのりと取り込まれていました。(続きは二稿の問いで)」

 

 

響かない物語と「炎の朱入れ」によって出来上がる修正稿

 

一ノ瀬「初稿はそれはもうひどいものでしたね。まず、読んでいて一番『ひどい』と思ったのはどういった部分でしょうか。」


弥生「内容面は先ほどの問いで答えたように、菜津美の変化が物語として弱かった点です。そして内容以外では……文章面でしょうか。『てにをは』や主語の扱いなど。厳しい言い方をしてしまえば、『まったく推敲せずに送ってきたのだろうか?』と感じてしまう水準の文章があまりにも多かったです。」


一ノ瀬「何か初稿と二稿で印象が違った場面や描写はありましたでしょうか?」


弥生「初稿と二稿では、劇的に変わりました。物語に芯を通すような数行が書き足されたと感じました。それは『救いとはなにか』です。もちろん一般的な『救い』ではなく、本作における菜津美にとっての救い、です。それはひどく主観的なものかも知れませんが、主観的に強烈な変化を見せるからこそ、ユニークな物語・主人公になりますし、それを読者は見て、共感したり首を振ったり、自分はどうだろうかといろいろ考えるのだと思います。」


一ノ瀬「実は初稿の段階で私は自ら参考文献を選んで、当時の状況について克明に再現をしようと努力しました。それで、二稿に取りかかる前に弥生さんからもう一冊、参考文献をお借りしたんですね。」

 

こちらです↓

東日本大震災 警察官救援記録 あなたへ。

東日本大震災 警察官救援記録 あなたへ。

 

 

一ノ瀬「弥生さんはどういった経緯からこの本を入手されたのでしょうか。また、本作にどんな影響が加えられると考えておりましたか?」


弥生「この本を知り入手したきっかけは、この本の編集者であるたらればさん(@tarareba722)が、Twitterでこの本についてつぶやいてるのを見かけて興味を持ったからです。影響についでですが、『手記の伝えてくる体験談の臨場感や熱量は本物だ』と知っていたからです。

私個人の話になりますが、友人と旅行で気仙沼を訪れた際に、とあるトレーラーハウスに泊まりました。そこは、被災した方が、津波で更地になってしまったかつて自分の家があった場所でやっている宿泊施設でした。その方は地域での手記集のようなものを作っておられて、ご家族を何人か亡くされたご自分の話を含め、たくさんの被災者や現場で尽力した人たちの体験したことが、ありのままに込められていました。私は泊まった夜、ほとんど徹夜になりながら読破してしまいました。私はそれを読んで初めて、震災の衝撃を具体的に知った気がしました。本作で震災を扱うならば、出てくるエピソードや人物にも、それだけの重みや臨場感を持たせて欲しい。そう思って、一ノ瀬さんに本書を薦めました。」


一ノ瀬「大変参考になりました。私も何冊か文献にはあたらせていただいており、それがこちらの二冊となりますが、

 

巨大津波――その時ひとはどう動いたか

巨大津波――その時ひとはどう動いたか

 

 

東日本大震災 2011・3・11「あの日」のこと

東日本大震災 2011・3・11「あの日」のこと

 

 

震災時にあの場所で起きていたことが分かり、またこのうちの一冊は普段は戦場で写真を撮っていらっしゃる方が出しておられて、情景や風景について余すことなく参考にさせて頂いたのですね。ただ、弥生さんの本をお借りして目を通してみて、そこには多くの人の声が詰まっていることに気づきました。震災当時から一年、二年……それくらいの時間では出てこなかった、整然としながらも何かを伝えなければいけないという必死の思いが文献から伝わってきました。登場人物に血肉が通うきっかけとなってくれたような気がします。ありがとうございました。」

 

 

「やれることは全部やろう」が合言葉だった

 

一ノ瀬「かなり第二稿には苦戦をしまして、ここで二ヶ月ほどかかってしまった記憶があります。弥生さんの朱入れも子細に渡り、Skypeで何度も指摘箇所を検討しながら直した覚えがあります。『てにおは』の使い方と用語の適切さに至るまで、かなり詳しくやりましたね。私は紙の辞書を使いながら頭を悩ませました(笑)。ぶっちゃけた話、弥生さんの方ではだるくなかったですか?」


弥生「だるいだるくないで言えば、だるかったです笑。でも、『ここはこうした方がもっとよくなるんじゃない?』と思うところは、全部言いたくなってしまうので……。また、読者が『うわ、下手な文章だな』『読みにくいな』と思った場合、それは読者には一ノ瀬さんの文章が下手だと映るかも知れない。でもそうなってしまうのは、編集校正として私が関わっている以上、作家が悪いんじゃなくて私が悪いんです。私はそう考えます。だから、『こんなに口うるさく言ったら嫌われるかもな』と思いながら、でも思いつく限りのことはやろうと思っています」


一ノ瀬「そうして最終稿が完成した訳ですが、出来たものを読んでみて『ここは一ノ瀬のやつ一人じゃ、絶対に出来なかっただろ!』と弥生さんが誇れる箇所はどの辺りですか?」


弥生「そこまで大口をたたける部分は、たぶんありません苦笑。強いて言えば、コミュニティハウス周りの描写をうるさく言って足したり削ったり書き直したりしてもらった辺りでしょうか。シーンが切り替わったりすると、適切なタイミングで読者が場面を思い描けるだけの描写が必要、と私は考えています。この必要十分加減がとても難しいのですが。」


一ノ瀬「最終稿がこちらで出来上がってから結局聞けなかったことがあるのですが、この作品のお気に入りの一文はありますでしょうか? 理由もお聞きしたいです。」


弥生「先ほども触れた『物語に芯を通す』文章。序盤で、菜津美に彼女の祖母が言うセリフです。

「この世界のどこかにきっと居場所があるんだと思うの。死んでしまったら、そういう場所に行く。それが私の楽しみの一つ、かしらね」(“私たちのバイクの旅と、ささやかながら与えられた救いについて”.Hybrid Library、2015)

 

菜津美ちゃんのような人と出会えた人間の、全ての救いになるような、特別の場所」(“私たちのバイクの旅と、ささやかながら与えられた救いについて”.Hybrid Library、2015)

 

抽象的で、ここだけ抜粋してもよくわからないでしょう。菜津美もこのシーンでは祖母の言葉を理解できません。

でも物語の最後に、菜津美は自分なりの答え=救いを見出します。冒頭のこの部分が、とても印象に残りました。余談ですが、私は物心つくまえに祖父母全てが亡くなり(そもそも私が生まれたときに祖母一人しか生きてなかった)、祖父母と会話した記憶がほぼありません。だから、こういう会話をおじいちゃんやおばあちゃんとするということ自体に、とても憧れがあります。」


一ノ瀬「ありがとうございます。仰られる通り、二稿の冒頭でその文章は書き足されました。二稿では弥生さんの朱入れに対応するだけでなく、『物語として筋が通っているとしたら、それをより響かせるにはどうしたらいいだろう』としょっちゅう考えていた気がします。その思い悩みの後に冒頭を整理して、そしてこの会話を突っ込んだのですね。ここが最後と引っかかって何らかの仕掛けになればという願いがありました。通じて頂いたようで感謝しかありません」

 

 

Hybrid Libraryの今後と「作家」弥生肇

 

一ノ瀬「あえて、デリケートな話題に突っ込みますが、かつて弥生さんの編集というか朱入れについてかなり批判の声が高かった時期がありましたね。それまで合同誌で弥生さんが編集をする場合、そこまで厳しく朱入れはしていなかったですね。今回、ハイブラリーをやるにあたって、そこまで厳しい方針をとった理由は何ですか? これまでのような合同誌のやり方を、電子書籍に持ってこなかったのはどうしてですか?


弥生「これまでの紙の合同誌でやっていた『ライトノベル合同誌Hybrid!シリーズ』では、『明確な誤字脱字・誤用を直す』『ストーリー展開上、明らかに矛盾している・おかしい・つまらなすぎる』部分だけを指摘するような編集をしていました。見て見ぬ振りをしていた改善点(と私が考えるもの)は山ほどありました。そうしていたのにはいくつか理由があって、

 

①時間リソース的な制約

 とてつもない量の原稿(参加人数が多かった)を印刷所入稿〆切までに捌かないといけない。しかも作家はなかなか〆切を守らない、守れない(契約に基づいた仕事ではない同人活動なので、私は作家に〆切を強制せず、最大限相手に合わせるスタイルでした)。

 

②同人という甘えや葛藤

 発表の場がコミケコミティア中心で、明確な同人誌でした。そのため、極限までクオリティを高めなくてもいいやという甘えがありました。作家と衝突するリスクを取ってまで細部に踏み込んで改善したくなかった。私が折れたり大きなトラブルが起きたら合同誌まるまる発刊できなくなり、何十人もの参加者の努力が水の泡になる可能性もある。だから、「この作品はつまらない」=「作家が悪いと読者に映るかも知れないけど、本当は編集が悪い」本を、甘んじて出していました。

ですが、はいぶらりーなら、上記の事情が全て変わります。

 

電子書籍に入稿〆切はありません。

 お詫びをして発刊を遅らせてクオリティアップに努めても、主宰の私がなじられ、作家一人が遅いと言われるだけで、他者への影響は合同誌ほどではありません。もちろん遅延が大きくなったり、繰り返せばレーベル自体の評価が下がっていくので望ましくないですが、私は少々の遅延回避よりも、作品の品質改善を優先したい。それが、合同誌ではなく電子書籍の単刊形式ならできます。

 

②発表の場が、Amazon Kindleです。

 これは商業作品と完全に同列の棚に並んでいる状況です。ここで商業作品と戦えるだけの本を出したいと思っています。『セルフパブリッシングなんてどうせ商業本に比べたら大したことないだろ』という印象を吹き飛ばし、可能ならば、『商業出版社は流行のものばかり出してるけど(慈善事業じゃないから必要なのはわかってます)、このレーベルの本なら意欲作があるじゃん』と思わせたいんです。これは、利益を追求しなくていいはいぶらりーやセルフパブリッシングにしかできないことです。でも利益を追求せずに面白い作品を普及させたいからって、無料や安売りばかりやってると……セルフパブリッシング業界全体の首が絞まると私は考えます。

 

私はこの活動で大儲けしようとは思ってません。ただ、『セルフパブリッシングにも、ちゃんとお金を払うだけの、商業に負けない価値ある本がいっぱいあるんじゃん』という空気を作りたいんです。そういう覚悟、矜恃があるからこそ、作家との衝突をしまくってでも、作品のクオリティを思いつく限り引き上げたい。そして、それをそれなりのお値段で売りたい。そう考えています。ていうか、もっと売れないと、赤字過ぎて、死んじゃう……吐血。」


一ノ瀬「私が思うに、弥生さんは編集であり作家であることから、いわゆる一般的な『編集者』のイメージとは違う役割を持っているように感じられました。編集者であることと、作家であること。その二つの立場を分けて他の作品に携わっているのですか? それとも、作家の時は作家、編集の時は編集、と切り替えてやっているのですか?」


弥生「基本的に、あまり分けてやっていません笑。他の人の作品を編集するときも、自著を推敲・改稿するときも、考えていることは同じです。ただ、次の質問に絡みますが、話の筋や設定には極力口を出さないようにしている。自著の改稿だったら、お話の筋も設定も必要あればガンガン変えます。」


一ノ瀬「弥生さんは作家視点だなあと思う時があって、それは何故かと言うと、ほとんど弥生さんは話の筋や設定について、書き手に委ねてしまうじゃないですか。一応指摘はするけれど強制はしない。これが完全に編集の目線になると、私の企画は『こんな作品は売れないから止めて下さい』の一言で終わってしまったような気がしました。今後、完全に編集に徹するというヴィジョンはありますか?」


弥生「作家視点というか、作家の気持ちがある程度わかるから、でしょうか。話の筋をどうするか、設定をどうするかは、作家性と密に関わる部分だと思います。もっというと、何を面白いと感じるかもそうです。更に言えば、読者が何を面白いと感じるかも、読者一人一人違います。ここで商業出版の編集なら、『売れるかどうか』を重要視して、最大公約数を取るような道へ持っていくのが基本的な営利行為です。でも私はその行為を、それほど面白いと感じないんです笑。営利行為をやりたいんだったら、誰かの作家性を減じたり殺したりしなくても、他の業種でいくらでもできます(注:商業出版に関わる編集職の方を悪く言うつもりは全くありません。作家性を殺すどころかさらに伸ばしつつヒットさせて利益を生み出す方もたくさんおられるでしょう。そういった方々に比べれば、私はまだまだ未熟です。そんな私が営利を追求したら作家にとって大変なことになるでしょう)。

作家という人種は、エゴや己の書きたいものを書くのが本懐だと私は思っています。だったら、幸いにも営利を追求しなくてもいいはいぶらりーは、それを最大限大事にしたい。そういう作品には、先ほどの手記の話じゃないですが、その作家だけが語れる物語と熱がこもると思うんです。これは、面白い/面白くないとは別の、ユニークな価値だと考えます。そして私自身も、そういうのを書き残すことをライフワークとしたい。だから、編集一本になることはないと思います。というか、本当は作家一本になりたいんですけどね。どうしてこうなった。はいぶらりー、やめてもいいです?笑」


一ノ瀬「なんてことを……。そ、そうだ、ここはエゴを貫き通して、はいぶらりーから『タイヤモンドダスト2』を製作すれば良いんです! 続刊という概念を覆す『続刊』を!

ダイヤモンドダスト: ―灰になった宝物― (Hybrid Library)

ダイヤモンドダスト: ―灰になった宝物― (Hybrid Library)

 

 

 

そう言えば、はいぶらりーには今後、続刊の出る作品もあるとかないとか風の噂でお聞きしたのですが、『タイヤモンドダスト2』を含めて続刊として何かを発行されるご予定はありますか?」


弥生「『ダイヤモンドダスト2』、実は構想はあります。イラストを描いて頂いたkyuriさんにも、その際はまたお願いしたい旨を話して了承頂いています。ですが、今は編集すべき原稿をあまりにも溜めてしまっている状態で(2ケタ近く、はいぶらりーは編集待ち・刊行待ちの作品があります)、自分のオリジナル小説を書く時間が全く取れません。『艦これ二次小説書いてるだろ』って言われたら辛いんですが、あれはイラストレーターさんが落書きして気分転換するのに似ている……から、ご了承頂きたい、という性質のものです。

脱線しましたが、他に続巻候補としては、『青春くろーび2』や同作品の短編スピンオフの構想があります。でも、これも皆様の反響次第でしょうか。はいぶらりーのレーベルテーマに掲げている『作家の書きたいものを書く』ですが、2だって書きたいから書くのです。読者から『続きを読みたい、このキャラクターがどうなるのか気になる』という声が届けば、続きが『書きたいもの』になります。逆になんの声も聞こえなければ、『全然違う、もっといいものを書こう』となるかも知れない。あるいは頑固に、『俺は意地でも2を書くんだ』という人もいるかも知れない。だから私は、著者に『2を書いて』『2を書くな』という強制は一切しません。続き書けそうだなと感じたら、振ってみたりはしますが。そうそう、『ひめとり!』も、何か新しい展開があるかも知れません。『スマイル』は完全完結作品なので続編はないですが、今福エヌさんの次の作品は既に書き上がった原稿を2つ頂いています……土下座。」

 

 

青春くろーび (Hybrid Library)

青春くろーび (Hybrid Library)

 

 

スマイル (Hybrid Library)

スマイル (Hybrid Library)

 

 

 

ひめとり!

ひめとり!

 

 

一ノ瀬「既刊も好評発売中! ですね。私以上に癖のある作家陣と弥生さんのコラボが、既に何作も出ていると考えると心躍るものがあります。今後もハイブラリーは広がりを見せていくと思われますし、今度は弥生さんはどんな作者や作品を拾ってくるのだろうという楽しみも個人的にはありますが、お体には気をつけて下さいね……」

 

 

インタビューを終えて


最初は自著のアピールになればなと思ってこの企画を用意したのですが、最後はハイブラリーの行く末と言いますか、弥生さんの試みをお話いただくという場になってしまいましたね……。まあ、最初からそうなるようにしたのですが。

要するに、「電子書籍で本を出すことって何なのよ」という問いには答えが無数にあって、私自身実はそのような問題意識をあまり深刻に持ったことがなかったのですね。だからこそ、弥生さんのお力を借りて、自分自身で本を出してみれば何か分かるかもしれないという期待があったのです。

そして、本を実際に出してみる過程で、色々な方のお目にかかりました。この業界というか市場がどういうものなのかも覗き見ることが出来ました。この世界での売れっ子作家さん、パイオニアと呼ばれる方々、山師の方々……。そして、売り方についても比較検討して、いかに利益を出すかの実験も繰り返していました。

その中で掴めたことは「作品を売るとはどういうことか」というテーマでした。

真偽のほどは定かでは無いですが、同人誌に値段をつけるというのは、本来同人誌には同好の士が作っている本を交換し合うという慣習があり、「本が作れないけど同人誌が欲しい」という方が「お金と同人誌を交換する」という方法で同人誌を手に入れ始めたというのが起源である……という話を聞いたことがあります。それが嘘であれ真であれ、結局のところ、自分の作品に値段を付けるのは自分で、「これくらいの価値があるだろう」という発想から値段がつけられる……というのが建前上の同人誌の値段なのかもしれません。

ただ、実際は「儲け」のために黒字が出るよう値段を設定したり、楽しみのためにやっているから「無料」でと様々な思惑が出ています。それをとやかく言うつもりはありません。

それを含めて「自分の作品に自分で値段を付ける」という行為は、出版界ではまずないでしょう。だとしたら、いわゆるインディーズの作家の本に付けられている値段というのは、その方の自著への評価にそのまま繋がるのではないでしょうか。そんな売り手側の都合を柔らかく受け止めてくれて、買い手側はその作者の「評価」を信じて買う……。だとしたら、同人界であれ、この電書界隈であれ、一般の書籍の市場とはまた違った「価格」の文化があるのかもしれないです。

作品は、野菜や金融商品ではありません。これがまたややこしくて、「良い作品だから売れている」のか「売れているから良い作品」なのかが見えにくい場合もあります。良いというのは、どこの何と比べて良いのか。何百人の人が良いと言ったら良い作品なのか。そもそも何百人の人が良いというためには、その分売らなくてはならず、だとしたら良い以外に「良さそう」と思わせる要素が必要なのか。

たくさんのことで悩めた電子書籍でした。

作品作りではいつもいつも悪戦苦闘しておりますが、今回はそんな電子書籍と「価格」の話も混ざってきたので、思うところが多かったように思えます。

 

 

そんなこんなでインタビューはおしまいです。弥生さんにはご多忙の中、色々とお答え頂きました。

ありがとうございました。

お体には気をつけてください。時には遠回りも必要です。
「いつでも遠回りこそが最短の道だった」というジャイロ(ジョジョ七部)の名言もありますし!

 

次回はイラストを担当していただいた、イラストレーターのじゅりさんにお話をうかがう予定です。

 

↓ この素敵なイラストを描かれた方ですね

 

 

私たちのバイクの旅と、ささやかながら与えられた救いについて (Hybrid Library)

私たちのバイクの旅と、ささやかながら与えられた救いについて (Hybrid Library)

 

 

 

 

挿絵での試みやラフスケッチの公開も予定しております。

どうぞお楽しみに!

 

ありがとうございました!